●不肖末尾ルコ、ついに『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を初鑑賞~「恋をしたいよ!」と叫ぶ「リリー」の人生について。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を磨くレッスン」

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』はマドンナが「リリー=浅丘ルリ子」である、シリーズ中でも特筆すべき一本だけれど、わたしが同作品をしっかり鑑賞したのはこの2月が初めてである。
小学校時代から「映画ファン」を自覚しながら、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を観てなかったという体たらく。
これは自らに罰を強いねば納得できるものではない。
というわけで、わたしは自らに強いたのだ、節を作ったロープに全裸の体中をキリキリと縛られる罰を。
そのロープの節には猛烈な痒みをもたらす練薬(笑)が塗り込まれていて、絶え間ない痒みに体をよじらせるわたしの姿を、酒を片手にニヤニヤと眺める社長さんたち・・・。

おっと、これじゃあ団鬼六の世界だねえ!
忘れてください、今の部分(ふふふ)。

さて、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』。
名高い「リリー=浅丘ルリ子」が初登場する作品。
どれだけ「リリー」が名高いかって、わたしが10代、まだ一本たりとまともに観たことなかったわたしでも知っていた、「名マドンナ リリーさん」の名前を。

しかし浅丘ルリ子と言えば、当時は既に山田邦子が目の周囲を黒塗りしてモノマネするようなやや美貌の衰えを揶揄される存在にもなっていた。
私にとって、「浅丘ルリ子」という存在の認識はまず、「目の周囲の黒塗り」だった。
もちろん今のわたしは、『ギターを持った渡り鳥』の中の絵に描いたような浅丘ルリ子を知っているのだが。

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』は、

「恋をしたいよ!」と、

叫ぶように語る。
「恋されるのではなくて、恋したい」のだどうだ。
「振られてもいいから、誰かに心底恋したい」
と、そんな意味の台詞を繰り返すシーンがある。
そこには、『ギターを持った渡り鳥』の、容易に男を狂わせそうな美貌の浅丘ルリ子は存在しないが、人生と生活をたっぷりと背負った生の女が存在し、叫んでいる。

「恋をしたいよ!」と。

だからこそ、錚々たる女優がずらりと並ぶ『男はつらいよ』マドンナの中で特筆すべきキャラクター「リリー」であり続けているのだろうか。

『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』の中で、「リリー」の人生について多くは語られない。
キャバレーなどを回るしがない歌手、その歌を聴こうとするお客は滅多にいない。
母親に金を渡す。
そして母親に憎悪を含んだ厳しい言葉を投げつける。
(リリーにはどんな人生があったのだろう・・・)
わたしたちは想像する。
想像の中の「リリーの人生」に、「寅次郎に惹かれた」すべてが格納されており、だからこそ、「寅次郎と結婚できなかった」すべてが格納されているに違いないのだから。