●「男の顔」に関するプチエッセイ~嵐の顔は幼稚?郷ひろみは?『マッキントッシュの男』のポール・ニューマンはローマ彫刻?

末尾ルコ「男の顔の話題で、知性と感性を磨くレッスン」

「顔」
とりわけ、
「男から見た男の顔」

と言っても、「男」も千差万別だから、ここは「末尾ルコという男から見た男の顔」ということにしておこう。
ちなみにわたしは恋愛感情は女性に対してしか持たない、いわゆるストレートである。

例えば、巷間「国民的アイドル」と呼ばれる「嵐」。

このブログを嵐ファンが訪問してくれている可能性は高くないと思うが、もしファンであれば、ここから先は読まないようにしましょう。
しかし、「世の中、こんな見方をする人もいる」と視野を広げたければ、読むのも一つのよい選択ではある。

で、嵐のメンバーの顔だけれど、

「幼稚」に見える。

わたしは特段嵐が嫌いなわけではない。

テレビでちらっと見かけただけで、即座にチャンネル変えてしまう「テレビタレント」は他に少なからずいる。
ただ、嵐のメンバーの顔は、

「幼稚」に見えるというだけだ。

嵐のメンバーは40前の男・・・にしては、「若々しい」と肯定的にも取れるけれど、ただ「若々しい!素晴らしい!!」とは言い切れないものがある。
それが、「幼稚性」なのだと感じる。

彼らのどこが幼稚か?
それはもともとの顔立ちがそうなのだから仕方ないのかもしれないし、いや、メンタリティが顔立ちに表現されている可能性もある。
あるいは、「ジャニーズタレント」とはこういうものなのか?

しかしそうでもないだろう。
若い頃は少年やら少女やら教会不分明なアンドロギュヌス的容姿で抜群の人気を誇ったごうひろみは、案外早い段階で「大人の顔」になっていたと思う。

いや、要するに、BSプレミアムで放送したジョン・ヒューストン監督の『マッキントッシュの男』を観ながら、数日前も次の投稿をしたけれど、

『マッキントッシュの男』はかなり緩い映画なのだが、ポール・ニューマンとドミニク・サンダの「顔」だけでも満足できる作品だと言える。

ポール・ニューマン、わたしが映画ファンになってから2番目にその「顔」に惚れ込んだ俳優なのである。
一番目は誰かというと、前にも書いているけれど、『ジョーズ』で鮫狩りの名人クイントを演じたロバート・ショウである。

まあ、日本人と白人ではもともとの骨格などが違うから何なのだけれど、ロバート・ショウとポール・ニューマンの男っぷり、今観ても惚れ惚れする。
顔立ちが、特にポール・ニューマンのローマ彫刻のように圧倒的美しさを持つもともとの顔立ちはもちろんなのだけれど、ニューマンもロバート・ショウも、

「中身」なしでは、

「あの美しさ」にはならないのである。

ま、この辺りはですね、よく知っていてもらいたいのですね。