●四方田犬彦の「映画はネタバレOK」説に同意できるか?~『時じかけのオレンジ』リバイバル上映の衝撃、あるいは「名画座上映に雨が降る」とは?

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を磨くレッスン」

四方田犬彦という映画評論家・・・と書きかけてちょっと調べたら、当人はこの呼称を否定しているという情報もあり、では何かと言えば、「比較文学者、映画史家」と書かれてあった。
まあそれはいいのだけれど、わたし四方田犬彦の本、けっこう読んでます。

「映画評論家」という名目の人もすっかり少なくなって、ちまたでは「映画ライター」とか、まあいろいろ「軽い」感じの名目にしている人が多いですな。
昭和の時代は言うまでもなく、民放各局、テレビでレギュラーの映画放送枠があり、毎回の放送の前後に解説者が話をするというパターンがまったくの日常だった。
なにせビデオも夢物語の時期だったから、「映画鑑賞」の方法は、

1ロードショー公開時に映画館へ行く
2名画座的な劇場での上映を観に行く
3テレビ放映を待つ

の3択だった。
まあ、リバイバル公開というのもありましたけどね。
わたしはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』を幸いなことにリバイバル公開で観ている。
「リバイバル公開」というのは名画座などへ下りてきての上映ではなく、過去の名作などを一般の映画館でロードショー公開のように上映するのであり、名画座などの二番館よりもよい条件のプリントが使用されるものだった。
二番館の上映は、例えば貴重な欧州映画が3本立てで500円とか、実に有意義なものだったけれど、それだけのプリントの状態については贅沢を言うべきではないとの認識があった。
「雨が降る」という言葉があったが(今もある?)、傷だらけのプリントで上映するために、画面の至る所に白い傷が見え隠れし、それがあたかも「雨が降っている」ように感じられるので、そう呼ばれていたのである。
まあ、名画座での上映は、そういうのしょっちゅうだった。

で、『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』を初見で「一般映画館だったのは実に幸福な映画体験で、特に『時計じかけのオレンジ』は映画のあらゆるおもしろさが詰まっていて、既に熱心な映画ファンだったわたしが、「映画無しの人生はあり得ない」とまでのめりこむ大きなきっかけの一つとなった。

というわけで、別にそのようなことを書こうとこの文章を始めたわけではなくて、四方田犬彦がある著作の中で次のような意味のことを書いていたわけです。

「映画とはラストシーンをばらされて、その魅力が減じられるほどやわなものではなく、ネタバレ禁止なんていうのは視野の狭い考え方だ」

とまあ、原文のままでなく要約だけれど、だいたいそんなことを。

で、どうなんでしょう。
四方田犬彦の言は正論だとは思うけれど、やはり「オチを知らずに観たい」作品は多くあるわけで、わたし自身は原則ネタバレなしにしているという方針なのです。
もちろん描いている方の裁量で、ネタバレしても何の問題もない場合も多いと思います、作品に対するリスペクトさえあれば。
ただ、「ネタバレ専門のサイト」とかは、ちょっといただけないですね。