●国民すべてに『男はつらいよ』全作鑑賞の義務を!とまで主張したくなる、あまりに凄い『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』、そして倍賞千恵子の心を掻き毟られる演技。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を磨くレッスン」


『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』などを観ていると、

▲国民すべてに『男はつらいよ』全作鑑賞の義務を!
とまで主張したくなる。
それだけのクオリティがあるし、『男はつらいよ』シリーズの脅威的なところは、

まず、「誰がどの作品を観ても愉しめる」

であるし、観れば観るほど深く心へと入る混んでいくことなのだ。

ただ、
▲国民すべてに『男はつらいよ』全作鑑賞の義務を!

と言っても、こういうの、国や政府(現政権だけでなく、どんな政権でも)がからむとロクでもないことになってしまうので、

「わたしたち」が

一歩ずつでもやっていかねばならない・・・と思っている。

いやホント、『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』は、あらゆる要素が極めて高レベルに達しているけれど、それは俳優の演技も同様。
先に書いた、「寅さんはお母さんを愛してくれていたの?」と問われた時の寅次郎の

「とんでもねえですよ」

という台詞。
カメラはやや斜めから渥美清の顔を捉えているのだが、「とんでもねえですよ」という台詞を発する前後の寅さんの逡巡、心の動揺、そして結局、「とんでもねえですよ」と言ってしまう寅次郎の「苦しさ」・・・「心を掻き毟られる」とはこのシーンのことである。

山田洋次だけでなく多くの映画監督が、

「人間は哀しい時に哀しい顔をするものじゃない」

と語り、間違いなく思っている。

人間の心理は複雑で、その心理によって表出される言動も複雑だ。
だからこそ、わたしには、「号泣・絶叫」で泣かせようという意識が醜く感じるのだろう。
要するに、人間を愚弄しているように感じているのだろう。

優れた映画は、確かに人間研究の格好のテキストになり得る。
しかも「人間研究」以外にも、お宝は無尽蔵なのが、「優れた映画」である。
ところが、「優れてない映画」にもお宝がザクザク含まれていることも多い。
しかもそれらが実にリーズナブルな価格で鑑賞享受できるのに、「ぜんぜん映画観ない人が多くなってる」って、どういうこと?
映画館で鑑賞する場合は2000円弱とか、サービス価格で1200円くらいとか、まあ日本は欧米に比べると映画代が高いのだけれど、テレビで放送される作品なども数多く、ほとんど無料に近い価格で観賞できるでしょう。
せめて、「週に一本」くらいからでも鑑賞する習慣をつけないとね。

『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』で凄まじいのは倍賞千恵子の演技も同様。
もうこの時点で円熟の境地。
圧倒される。
作品中盤以降、京マチ子演じる女性の余命が短いことを知ってからの倍賞千恵子の演技たるや、ありとあらゆる感情が入り混じった、「さくら」のそれまでの人生がすべて表情に出ているような、複雑な、そして深い苦悩とともに希望さえも見出せるような、そんな表情なのである。