●あるカフェでとても「だらしない」若い女性3人組を目撃し、「だらしない・だらしなくない」のボーダーライン探求の極北へと。

末尾ルコ「人間観察の話題で、知性と感性を磨くレッスン」

「だらしない」と言われて嬉しい人はいないと思うが、「だらしない」と言われて平気な人はけっこう多いだろう。
どういう状態が「だらしない」であり、どういう状態が「だらしなくない」のか、自分なりの基準を持ってない人が、増えてきたのか以前から同じように存在したのか、専門的に研究したわけではないんではっきりとは言えないが、日常生活を送りながらどうしても目についてしまうのは致し方ない。

少し前、カフェの長テーブルに3人の女が陣取っている。
いずれも20代だろう。
紙の資料だか何だかをテーブルに撒き散らしているような有様で、二人が並んで座り、体面にもう一人いるというテーブル上の三角形ないし四角形の範囲は彼女たちのテリトリーと言えないこともないのだが、しかし場所はカフェであって、教室や自分らの家ではない。
他の客が入ってきた時に、(なんじゃ、こりゃ)という状態にテーブルをしてしまってはいけないだろう。
しかも、他の客も同席する長テーブルなのだ。
いやホント、彼女たちの着いているテーブルの上は、「紙資料の散乱」という惨状で、まあたいがいそんなことする人間は姿勢も悪いのですな。
片膝立てて座ったり、テーブルに置いたうえでの上にべったり頬をつけたりと、わたしの目には「だらしない」の炸裂である。
「自分らがどう見えているか」に頓着ないのか、「紙資料散乱」&「行儀悪」が気が利いていると思っているのか。

例えば、スーパーでも書店でも、自分が見たいものを置いている棚へ近づくとする。
しかしそこには別の人が商品を見ている。
けれど他の人が近づいてくると、すぐに体をずらして、後から来た人にも見えるようにする人もいるんですね。
とても感じがいい。
あるいは、通路を歩いていて、いち早くこちらに気づき、軽く避けてくれる人、とても感じがいいし、要するに、「周囲が見えている」のですね。

わたし自身が「だらしなくない」か否かと問われれば、正直言えば、「家ではかなりだらしない」のである。
ベッドに敷いている布団類は万年床化しているし、そもそも掃除を滅多にしない。
いや、この3月は、(やるぞー!!)と決意してはいるのですけれどね。
わたしの場合、時間の使い方がいまだ実に効率が悪いのだな。
これもこの3月に大改善するぞ!と決意も新たなのだけれど、そんなわたしも、家から外へ出ると、

「だらしなくない!」
どころか、
「服装、立ち居振る舞い、譲渡王、いや上等にエレガントだぞ!」
なのですね、できれば写真などお見せしたいところですが、わたしはブログではそういうことはしないポリシーなので。

で、このお話の結論めいたことを書かせていただくと、

「最低限の公私を理解させるくらい、家庭教育でやっとけ!」とまあ、

こんな当然至極のことなのです。
もちろん各家庭諸事情あるでしょうが、あくまで一般論として。