●「美に関するエッセイ」~ももクロ百田夏菜子はなぜこうまで美しいのか?~あるいは美魔女はなぜ「美の真逆」なのか?

末尾ルコ「美に関する話題で、知性と感性を磨くレッスン」

まあ例外もあるかもしれませんが、わたしが基本として持っている人間観の一つが、

「苦悩を、苦痛を乗り越えた、乗り越えようとする人間は美しい。」です。

表情に深みが出る。
もちろん人間誰しも苦悩や苦痛は持っています。
表面上いつもニコニコしている人でもまず持っている。ただ、苦悩や苦痛に負けてしまっていると、ただただ陰鬱な表情になってしまうことが多いのですね。
苦悩や苦痛とどう向き合うか。
フィクションの世界とは言え、『男はつらいよ』の渥美清や倍賞千恵子らには大いに「美」を感じます。
なぜなのでしょうか。

例えば今の芸能界の若い人では、ももいろクローバーℤのリーダー百田夏菜子。
「美しい」という言葉は今、彼女にこそ相応しいと感じる。
それは現在トップ女優と言われる、綾瀬はるか、石原さとみ、新垣結衣らと比較しても、わたしには百田夏菜子の方が「美しさ」において大きく上回っていると思う。
もちろん、「何を美しいと感じるか」、「美しさに序列はあるか」といった難問は常に横たわっているが、ここは取り合えず「わたしが何を美しいと感じるか」を語っていると捉えていただこう。
で、そうですね、
今の少なくとも20代の女優、女性歌手(わたしはアーティストという言葉を容易に使わないことにしている。現在の用法だと、「AKBなんたらや乃木坂なんたら」の一人一人が「アーティスト」となってしまい、まあ冗談にも程があるでしょう)などを知っている範囲で眺め渡した時、かなり抜けているのが百田夏菜子なのだ。
広瀬すずとか広瀬アリスとか有村架純とか、「綺麗」です。
しかし、「美しい」という言葉は出て来ない。

※人間の真の美は内面より育まれる。

などと書けば、「青い」だの「中二病」だの言うやつがいるだろうけれど、これが真実ってものですよ。
美魔女なんていうメディア用語に踊らされている女性たちが「美しい」と真逆に見えるのは、彼女たちの内面の薄っぺらさ、貧しさから来ているのです。
「美魔女」を「美しい」と感じるというのであれば、それはもう審美眼に問題があると思った方がいいですな。
そしてさらに明らかな真実を一つ。

※若い方が美しい・・・ということはまったくない。

と、このテーマについて今回詳細に語るのは(延々と続くので)控えるけれど、この日本の「無条件に若い方がいい」と思い込んでいる人たちは、『時計じかけのオレンジ』のアレックスのように再教育されるべき・・・というのは冗談ということにしておこう。

百田夏菜子の「美」についてここで短くお話するとすれば、

「戦い続けている人間の美」ではないか。
わたしは2018年からももクロのファンになった初心者に過ぎず、路上ライブやヤマダ電機店回りなどから始まったすさまじいももクロの歴史については「モノノフ」と呼ばれる熱烈なファンたちから半ば神格化されているけれど、もちろんファンたちによって神格化されている有名人のエピソードはごまんとあるけれど、とてつもなく遅れてファンになったわたしだからこそ、(神格化されて当然)と感じるほどに凄まじい戦いの歴史であると思う。
特に2018年1月、メンバーの一人の有安杏果が「卒業」という大激震に見舞われ(5人でずっとやってきたグループであり、大所帯グループとは「一人抜ける」意味がまったく違う)、それまでずっと「太陽のような光」にばかり注目が集まっていた百田夏菜子の表情に苦悩と憂いが目立つようになり、しかしその大苦境を乗り越えようとするその姿、表情には、

確かに神々しささえ漂っている。

BLAST! momoclo mania
https://www.youtube.com/watch?v=P6AFkkdAGeE