●親戚づきあいほぼ皆無のわたしでも、まだ親戚関連に煩わされることがある、と言うか、ちったあ、相手の立場や状況も考えろ!と叫びたい日もある。

末尾ルコ「親戚づきあいの話題で、知性と感性を磨くレッスン」

わたしは現在ほとんど親戚づきあいをしてない。
と言うか、
父が亡くなった後、父方の親戚とはまったくの没交渉。
まあ事情はいろいろあるので今回詳しくは書かないが。
母方の親戚と言うか、辿ればいろいろいるのだろうけれど、母の2人に妹家族以外は没交渉である。
しかも末妹の家族とは実質没交渉。
この家族は国内では「極めて高学歴」とされる学歴を持った人が多く、東大、早稲田、慶応など取り揃えているが、はっきり言って、人間的には大問題があるのである。
これまたここでその人間的大問題について深く言及することは避けるが、わたしは基本的に、「人間的に大問題あり」の人たちと付き合うことはないので、この家族とも実質没交渉なのである。
ここで当然、「人間的に大問題とはどのような問題なのだ?」とか「じゃあお前には人間的大問題はないのか?」とか問われるかもしれないが、この点についてもここでは深く追究しない。
そこを書き始めるとこの文章、延々と続くことになりますゆえに。

で、実質的な親戚づきあいは3姉妹真ん中、つまり二女に当たる人の家族とだけとなっているが、その家族は関西在住なので、会うとしても1年に1度くらいである。
考えてみれば、その家族もほとんど教員で、わたしの家族、親戚関係はやたらと教員が多いことは多い。
だというのになんでわたしがこのようになロックでアートな人生を送っているかについても話せば長い歴史があるのでここで言及はしない。
嗚呼、人に歴史あり、である。

で、母ととても仲のいい二女家族だけれど、周囲がほとんど教員であることも影響しているのだろうし、それだけが理由でもないのだろうが、「あまりに常識的」なのである。

いやいやいや、わたしは別にここで詳細に「わたしの親戚論」をぶつつもりなどないのだった。
ではどうしてこの文章を書き始めたかと言うと、その二女夫婦がこの3月に例年のごとく一瞬高知に帰ってくるのだが、その際にいくつかの重病で入院している三女の夫を見舞うと、それはもちろんいいのだけれど(いかに三女夫婦に思うところあっても、人間としては見舞うのが当然だろう)、いきなり電話がかかってきて、「3月~日の~時頃でいいかねえ?」と、ほとんど1週間後の日時まで「既に決まった状態」で「提案」してきたが、こういうの「提案」じゃないですから。
3月のこの時期、ただでさえ母はピアノ発表会、2か月に一度の定期健診、歯科医受診、発表会のための美容院(笑)などなど、いや、笑いごとでなく忙しくて、年末年始と並び、体調には十分以上に気をつけるべき時期なのである。
この上いきなり用事を増やされてはというのもあるし、20年以上前に教職をリタイアしている母と、ロックでアートなフリーランスの風来坊(笑)のわたしだから、「いつでもok」と勘違いしてるんじゃねえか、と。

というわけで、さすがのわたしも電話では言えなかったひとことをここで叫びたい所存である。

「俺は毎日忙しいんだよ!貧乏暇なしって言葉知らねえのか、おらあ!」

はい。
ま、でも、二女夫婦はとてもいい人なんです。
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