●3月19日、心臓バイパス手術後、確かに母は目覚め、わたしと「会話」することができた~母入院以来の、わたしの「喉の渇き」の理由とは?

末尾ルコ「母の話」

執刀医から「麻酔から覚める日」と言われていたのがこの日です。
ただ、その麻酔というものが、心臓バイパス手術時に施された全身麻酔が続いているのか、それとも術後の痛みなどの管理のために新たに施されるのか、その辺りはわたしは分かりません。
わたしにとっては、「確実ではないけれど」という前提の上であっても、「19日には麻酔から覚める」と言われていた日に覚めているか否かが重要なのであり、想像は(もし覚めてなかったら)という方向ばかりに行くものです。
結論から言えば、母は麻酔から覚めていました。
ICUの母のエリアに入った時、まだ鼻と口にチューブは入っているけれど、母の目はしっかり開いていました。
わたしが近づき顔を見せ、「来たよ」と言うと、すぐに顔を紅潮させて泣き顔になったのです。
そのために呼吸数や血圧の数値が上がり、アラームが鳴ってしまいました。
「興奮したらいかん」
とたしなめますが、すぐには収まりません。
左手を動かしたり、時に脚を曲げたりと、少々説得に手間はかかりましたが、少なくとも、
「自分の息子は分かり」
「息子の言っていることも理解している」ことは間違いないところです。

口に入れられたチューブのためまだ話することはできないけれど、「おとなしゅうしちょらんと治らんで(おとなしくしてないと、治らないよ)、分かる?」と問うと小さく肯いてくれます。
母は言葉は出せないけれど、これは間違いなく「会話」です。
そして少なくともわたしは、「母と会話したのは3月16日の夜が最後になった」という事態は避けられたのです。

昨日と比べると機器類も少なくなっていました。
もちろん油断は一切しません。
今後どのようなことが待ち受けているか考えるだけでも途方に暮れそうになります。
そもそもいつICUから出られるかさえまだ分からない。
けれどこの日、この瞬間の気持ちは生涯忘れることはないでしょう。

・・・

母の件についてコメントをくださる方々はわたしの健康状態についての気遣ってくださり、本当に心から感謝しています。

母が入院してからのわたしの生活や心理状態についても書かしていただきますと、正直なところ非現実的なまでに苦しくて苦しくて仕方ありません。
しかし母のためにも、わたしがたおれていてはならない。
この期間が始まってからわたしの身体に目立って起こっている出来事の一つが、「とても喉が渇く」ことです。
わたしは普段さほど水分を摂らないのですが(もっと摂るべきなのですけどね)、母の入院以来少なくとも普段の3倍以上は水分を摂っています。
もっとかもしれません。
病院内の暖房が我が家のエアコンとは段違いに暖かいのも理由の一つですが、昨日気付いたのですがそれ以上に大きな理由は、

「常に緊張状態にある」ことですね。

24時間絶えることのない緊張状態・・・これがいかに強い口渇感を呼ぶことか、今強烈に実感しています。