●母の心臓バイパス手術後3日目、執刀医との会話。~苦境の中での読書、映画鑑賞、音楽鑑賞は可能か?

末尾ルコ「母の話、困難と芸術の話」


3月20日は午前0時を回った辺りからぐんぐん気温が下がってきて、結局カイロを使わざるを得なくなった。
この日から暖かくなると予報されていただけに、これまたそんな予報を信用するからいけないんだともなるけれど、案外最近の天気予報は当たるのです。
でも3月20日にもなったのだから、(暖かくなってくれよ)という気持ちは強く、「暖かい」とまではいかずとも、「寒くない」くらいを最低ラインにしてもらいたいところだが、20日午前1~3時は寒かった。
高知の話である。
何と言うか、「活動を邪魔されている」気分になるのですな。
もちろん高知の寒さなんか、北国のそれとは比較にもならないことは理解してます。

20日午後2時半にICUの母と面会。
午後2時から面会時間が始まるのだけれど、いつも予約でいっぱいになっている。
この日の母は、やはり口と鼻にチューブが入っていて、まだ話をすることはできない。
近づくと目を閉じていたが、話しかけると目を開いた。
前日のような興奮した状態にはならず、わたしが語り掛ける言葉も一言一言しっかり反応してくれる。
振り向くとたまたま執刀医がいたので挨拶すると、「お母さん、頑張ってくれいうよ(頑張ってくれているね)」と向こうから語り掛けてきた。
ドレーンの中に血があったので、「出血はsるんですか?」と尋ねると、「いや、出血はしてない。ドレーンももうすぐ外せると思います」と。
そして気になる、「口のチューブはいつくらいまでという、だいたい目安はありますかね」という質問に対してはやや答えを躊躇したが、「2~3日後くらいですかね」と言った。
医師や看護士らスタッフも先のことが分かってやっているわけではないので質問も慎重にならざるを得ない。

・・・

さてこうした状況でわたしがどのような生活をしているか。
そのすべてを描写するわけにはいかないが、少しずつでお話していきたい。
わたしは常日頃からどんな状況であっても読書・映画鑑賞・音楽鑑賞(〈「言葉」による革命〉「3種の神器」を欠かさないようにしているが、さすがに今回はやろうとしてもまったく入ってこないという時間はかなりある。
「母のこと以外を考える」ということにどうしても罪悪感が出てくるのだ。
(母があんなに苦しんでいるのに、自分が楽しんでいてどうするのだ)という感覚だ。
しかしわたしが今心身を壊してしまえば(正直なところ、大丈夫かな・・・と自分でも危惧する時間もあるけれど)、一番困るのは母である。
といった自覚の下に・・・というわけでは必ずしもないが、例えばここ数日で観た映画が、エリック・ロメール監督の『木と市長と文化会館民館、または七つの偶然』とエル・ファニング、ニコール・キッドマン出演『パーティーで女の子に話しかけるには。
別に(今これを観たい!)というのではまったくなくて、母が入院する前に少し観かけていたので続きを鑑賞したというわけだ。
しかしとりわけロメールの『木と市長と文化会館民館、または七つの偶然』は今の精神状態にまったく入ってこなかった。
本来はロメール、好きなんですけどね。