●我が母、心臓バイパス手術後闘病記33~34日目、母が看護士の手にキス。~今わたしがローザ・ルクセンブルクについて言及する理由。

末尾ルコ「母の話、欧州史の話題」

4月20日(土)手術後33日目
午後7時の面会

鼻チューブなし。
めまいの訴えもなし。
心臓バイパス手術後の状態としては、極めて安定した段階に入ってきているように感じる。
それだけにリハビリが滞っているのは歯痒いのだけれど、83歳で心臓バイパス手術の準緊急手術を受け、その直後の出血や発熱もなくここまで来ているのはひょっとしたら驚異的とさえ言えるかもしれないことをいつでも心しておかねばならないだろう。

4月21日(日)手術後34日目
午後12時の面会

鼻チューブなし。
鼻チューブが再び外されてから約1週間。
そろそろ「鼻チューブなしが普通」と思いたいところだが、圧迫骨折の腰痛が強くなってからも1週間弱ほとんどリハビリができてないのだから、「心肺機能をアップさせる」という点においてはなかなか進展していない可能性もあるので油断はできない。
ただ、鼻チューブで酸素を入れている時でも多少の息切れをする時間もあったけれど、このところ呼吸に関してはとても安定している感はある。
差し入れはセブンイレブンのシュークリーム。
しかし入室した時点で給食のおかず大皿はたいらげていた。
他の料理にはほとんど手をつけてなかったのに、その皿だけはペロリと食べていた。
(気に入ったものをおかわりできれば)とも思ったが、まあなかなかね。
シュークリームはけっこう大きかったので半分程食べ、『テルミール ミニ』は完飲した。

以前書いたが、ロビーで「お母さんに、元気もらってます」と言ってくれた若い看護士が来ていて、この日は入浴もさせてくれたのだという。
母はその看護士の手を取ってキスをしたりと、やりたい放題で、しかも看護士はそうした行為も(この人なら普通)と受け入れているようだ。

・・・

ローザ・ルクセンブルクと言えば1870年に生まれ、1919年に虐殺されたドイツの思想家・革命家であり、かなり先鋭的な左翼思想家だったのだけれど、彼女については右とか左とかいう区分けを超えた人間的魅力があると、まあ偏見のない心を持っておればそう感じると思うのですな。
ローザ・ルクセンブルクはマルクス主義の理論家としても名を馳せたが、レーニンやロシア革命そのものに対しての批判も真っ向から展開しており、決して教条主義的にならない知性を持った女性としていまだに左右の思想を超えた尊敬を集めている。
理論家としてだけでなく実践的な革命家としても活動し、特に革命組織「スパルタクス団」を率いた蜂起は欧州現代史上大きな事件だった。
しかし蜂起には失敗。
盟友カール・リープクネヒトらとともに虐殺の憂き目に遭った。
などと書いているけれど、わたしは別に「左」の信奉者でも「右」の信奉者でもないですよ。

この度ローザ・ルクセンブルクについてこうして書いているのは、最近読んだ彼女の

『獄中からの手紙』が

あまりに素晴らしいからであって、同書についてはまた後日詳しくお話ししたい。