●我が母、心臓バイパス手術後闘病記55日目~「転倒予防」に特化したプランにサイン~午前・午後にリハビリを見学、間違いなく体力はついてきており、血中酸素飽和濃度も安定。

末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」

5月14日(火)手術後56日目
転院21日目

「実行」には至ってないのだけれど、5月11~13日の3日間はいずれも母が「ベッドから出ようとする」未遂案件があった。
11日は既に書いた、「帰る!」と言い出して、わたしと2時間以上じっくり対話した日のこと。
その朝も「トイレに行こうと思ったけど、柵に脚をぶつけて行けんかった」と悪びれずに行ったので驚いたものだ。
12日は午後の面会の時、柵センサーの音で動きを察した看護師にベッド位置などを直されていた。
この時も「トイレへ行こうと思った」という話だった。
13日は夜。面会に行くとコルセットを完全に外していた。
理由はやはり、「トイレへ行こうと」というものだったが、他の時と違い、ベッド上の位置も正常で、布団も普通に首までかぶっていた。
つまり、(トイレへ)と思いコルセットを外したにしても、「ベッドを出よう」という動作までには至ってなかったと考えられるのだ。
ひょっとしてそれは今までのように、(ベッドから出たい→すぐ実行)ではなくて、(ベッドから出たい→けれどちょっとどうかな)という躊躇なのだろうか。
いずれにせよわたしは11日の母との対話以来、「叱ったりせず、心の奥底へ届くように語り掛ける」ことを貫き通す決意はできている。

そう言えば前日、看護師から一枚の同意書にサインを求められた。
彼女のいわく、

「転院時は総合的認知症のケアもプランに入ってましたが、そちらはいったん解除して、(認知機能低下から来る?)転倒の防止を中心としたプランに同意いただけるでしょうか」と、
だいたいそのような内容だった(と、わたしは受け取った)。
現在の母の記憶能力や話しぶりは手術前とほぼ同等になっており、正直なところ、「総合的な認知能力に対するプラン」は解除していただいてけっこうであり、とにかく「転倒防止」を大きな目標していただきたいのでもちろんサインした。

この日はたまたま午前も午後もリハビリの見学ができた。
どちらの回もなかなかいい感じだった。
まあ面会時間とリハビリ時間が合わないことも多々あるのだが、この日は数種類、わたしが初めて見る方法が行われていた。
例えば2本のバーの間で、片手でバーを持ちながら、もう一方の手で療法士が持っている輪(チューブを輪投げの輪のようにした感じ)を取り、相手が上げているもう片方の手にくぐらせる。
母も笑いながらやっていたけれど、療法士が美形だったのでわたしもご一緒したくなった・・・というのは余談である。

午後は歩行器を使ってそこそこの距離を2往復していた。
特に息が切れる様子もなく、合間に測っていた血中酸素飽和濃度は「98」が出て、歩いた直後でも「95」「97」と安定していた。