●我が母、心臓バイパス手術後闘病記~深夜に病室を出て、廊下の椅子に座っていたという危険行為の理由は?~「136㎝」の男との恋愛、映画『おとなの恋の測り方』。

末尾ルコ「母の話、映画の話題」

5月27日(月)手術後69日目
転院34日目

5月27日午後1時半の面会では病室にもリハビリ室にもいない上にベッド横の床にマット状の「床センサー」が備えられていたので、(また転倒でもしたのか?!)とナースセンターで尋ねると、「入浴じゃないでしょうか」という話でそれはよかったけれど、「床センサーをつけてくださったますが」とさらに尋ねると、「あ、実は昨夜ベッドから抜け出して、廊下の椅子へ座ってまして」と・・・これまた衝撃的な話である。
状況からみて、「柵センサーと柵を外し、ベッドから出てほとんど何もつかまらずに廊下まで出て椅子へ座った」ということだろう。
その後看護師や作業療法士とベッド位置や床センサーの位置などを再検討して移動させるなどしたが、廊下まで独力で歩けるようになったのはある意味素晴らしけれど、まだそれをやっちゃあダメなのである。
どうしてそんなことをしたか母に尋ねると、自分の行為はしっかり記憶していて、やはり「トイレへ行きたかった」ということだ。
確かに普通のトイレで用を足す練習も介助付きで行ってはいる。
だから深夜に、(一人でも)と思ってしまったのかもしれないが、もちろんまだ「介助」がなければ危険なのだ。
そういう時はナースコールしてくれればいいのだが、まだ必要な時にできない。
リハビリ病棟に来てから精神の動揺は薄らいでいるけれど、「トイレ問題」を含め、「事故の危険」をどのように解決していけるか。

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このところ鑑賞したフランス(語)映画が(わたしにとって)ハズレが多かったことは既に書いているけれど、案外よかったのが『おとなの恋の測り方』だった。
「ハズレ」の中にアラン・レネ監督の遺作である『愛して、飲んで、歌って』が入っており、それよりも『おとなの恋の測り方』の方が「よかった」と主張するれば、シネフィル族からわたしの鑑賞眼に対して「失格」の烙印を押す向きもあろうかと思うけれど、ダメですよ、いくらアラン・レネでもあのようにハイテンションの芝居をそのまま映画にしたような作品は。

『おとなの恋の測り方』は、離婚して3年の弁護士ディアーヌがひょんなことからアレクサンドルという金持ちで知性もユーモアも持ち合わせ、しかもハンサムな男と知り合い恋に落ちるというストーリーが、ポイントはアレクサンドルの身長が、

「136cm」だということ。

ストーリーや演出はハリウッド製ラブコメの定番通りだが、「136cmの男と付き合う」ことに対する女性の心理や周囲の好奇の目などが描写され、それは決して深くはないけれど、「考える材料」とはなり得るし、アレクサンドルを演じるジャン・デュジャルダンはもちろん136cmではないながら、特撮を駆使して上手く見せている。
特にディアーヌの元夫や母親のアレクサンドルに対する偏見の酷さがとてもリアルだし、そうした眼差しに一度は負けてアレクサンドルの別れを決意するディアーヌに対して彼女の秘書が、「あなたは心が小さい!その考えはナチスと変わらない」と叫ぶシーンがグッと来る。