末尾ルコ「母の話、健康医療の話題、文学の話題」
 

6月16日(日)手術後89日目
転院54日目

6月14日にA病院から2回目の請求書が来なくていいのに来たわけだが、その内訳は次のようなものだった。

保険対象負担額
 自己負担額   57,600円
 食事療養負担額 42,780円
保険外負担額   18,284円

というわけで合計が、

「118,664円。」

決して愉快な金額ではないが、それでも母が後期高齢者の1割負担だからこのくらいの額に収まっているのである。
しかしかつてヴィクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル』で描いた民衆のごとく貧困に喘ぐわたしである。
6月支払い分はどうにかポンとキャッシュで払えそうだが、7月、そして8月なるとしっかり不透明だ、どうする、わたし?

それはさて置き、病室で母とともに行っていることとしてこれまで「濃密な会話・対話」、「歌」を挙げ、お話してきたが、他にもいろいろやっているし、「濃密な会話・対話」、「歌」にしても一様ではなく、多様な方法を試みている。
そして「濃密な会話・対話」、「歌」以外にもいろいろ試みている。
その一つが、「算数」。
「数学」と言いたいところだが、「算数」である。
しかも足し算と引き算中心。
数学の問題の一つもやってみたい気はあるけれど、そんなもの母ができない以前にわたしができない。
わたしは文系にはいささか自身があるけれど、数学以前に算数はできの悪い小学生レベルだ。
そして単純な足し算・引き算も、やり方によっては十分に脳の体操になるし、ゲーム感覚で愉しみにもできる、と思う。
最初は2桁以内の計算を、その分量や制限時間などを変えてやってみるのもいいし、慣れてきたら3桁4桁と桁を上げていくのもいい。
母は若い頃は比較的計算が得意だったと思うが、さすがに年齢を重ねるに従って徐々に不得意となってきつつあった。
再び少しずつでも計算力を取り戻せていけば、母としても悪い気分にはならないだろう。

・・・

わたしの亡父は高校教師であって、日教組組合員でもあった。
父はマルクスの『資本論』も読んでおらず、基本的に共産主義については知らなかったはずだが、かつて教員たちの多くが日教組組合員だった時代があったわけだ。
そして我が家は共産党機関紙『赤旗』も購読していて(父の死去後しばらくして購読中止)、同紙では当然ながら小林多喜二は英雄としてよく紙面を飾っていたのである。
ご存じのように小林多喜二は特高警察の拷問によって死に至らしめられたのだが、そのエピソードだけでなく、「拷問を受けた大腿部」の写真なども紙面を賑わしていた記憶もある。
もちろん子どもだったわたしは、(う~ん・・・)と感じながら見ていたものだが、こういうことを書いているのは、最近小林多喜二の「蟹工船」と「党生活者」を読んだからで、これらは10代の時期に読んでいるけれど、あらためて今、何となく読んでみたのである。
「蟹工船」はおもしろかった。
文体も描写も展開もまるでパンク。
ところが「党生活者」となると、読み始めは(スパイ小説みたいじゃん!)と盛り上がったのだが、だんだん北朝鮮の放送のような雰囲気になり、(ああ~、思想小説って、こうなっちゃうんだな)とあらためて感じた次第。