●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌49日~11月なのにヒンヤリしたフローリングの心地よさ~ケアマネさんが大好きなナタリー・ウッドについての、わたしの思い違い。

末尾ルコ「母の話、介護福祉の話題、映画の話題」

11月18日(月)手術後244日目
退院後49日目

11月17日深夜から18日午前1時くらい。
この夜もわたしは厳しい寒さを予想していたが丸っきり厚くなくって、冷えた麦茶が気持ちよくって、ヒンヤリしたフローリングが気持ちよくって、夜11時ごろにTシャツ1枚になったりして、いや、Tシャツ1枚で他は何も来てなかったのではなく、ボトムズは仏にジャージを着てましたよ、セクシーギャルじゃないんだから。
そう言えば以前よく、と言うのは昭和の時代ですけど、「Tシャツだけを着ている女性」に惹かれる男が多かった、と。
最近はどうなのかな、あまり聞かない、目にしないですネ、そのような意見。

と言いますか、暖冬なら暖冬と決めて暖冬らしくずっとしてろ!と思うのですが、天気というヤツ、言うことを聞いてくれません。
何てことは今後もちょいちょい書いてしまいそうな気がします。

まあそれにしても、この11月にフローリングのひんやりを心地よいと感じるとは。
・・・
家庭訪問に来てくれたケアマネさんと映画の話をした。
そのケアマネさん(女性)、ナタリー・ウッドのファンだと言うのです。
これは珍しい、もちろん昨今の話。
わたし自分の周囲で「ナタリー・ウッドのファンです」と言う人初めてだったんです。

しかしナタリー・ウッドのプロフィールを見てみると、この方が亡くなったのは1981年なんですね。
わたしが生まれるより前に亡くなっている女優さんだとずっと思っていたが、1981年とは。
謎の水死を遂げたことも知っていたけれど、40代だったとは。
なにせロバート・ショウが死去したのが1978年で、しかしわたしの中では「ナタリー・ウッド=歴史上の女優」「ロバート・ショウ=現代(当時)の俳優」というイメージだった。
あ、ロバート・ショウは何度となく書いているように、わたしが一番初めにファンになった外国人俳優です。
結局このケアマネさんとの会話が、子どもの頃からのわたしの誤ったイメージを修正してくれたことになったわけで、「会話」って大切ですね。
そう、会話って、大切、大切、大切、大切・・・と繰り返すほど大切。
この場合、「わたし=長きに渡って持ち続けていた誤りを修正できた ケアマネさん=ナタリー・ウッドの話ができて心底気分がよくなった」と、双方にとって目に見える意義を想像できたわけです。

さて、ナタリー・ウッドとは、1938年7月20日 に生まれ、1981年11月29日に死去しています。
代表作は、『理由なき反抗』『草原の輝き』『ウエストサイド物語』『雨のニューオリンズ』など。
特に『理由なき反抗』『草原の輝き』『ウエストサイド物語』は「永遠の映画」であり、つまり

「永遠性を帯びた映画へ出演しているから、歴史上の女優だと錯覚していたのだろうか」。

ジェームズ・ディーンと共演しているわけですからね。