末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、教育の話題」

12月5日(木)手術後261日目
退院後66日目

この度の忘年会参加でわたしにとって最もよかったのはもちろん「母がこうした会合へも参加できる」ことを実証し、今後の自信としてもらったことだが(過信はしてません)、その他では何と言っても、「ご高齢で頑張ってらっしゃる方々を身近で拝見できた」ことです。
出し物の一つとしてお一人で詩吟を披露した方がいたのですが、背筋もしゃんと伸びて活力も漲っていた。
どうでしょう、(75歳くらいかな・・・)と思っていたら、何と「明日で90歳です」とおっしゃる。
驚きましたね。
しかしこの方だけでなく会場には、「96歳」そして「100歳」の参加者もいらっしゃいました。
わたしは今まで「100歳」を超えた方と直にお話したことがあっただろうか。
とにかくこの度「100歳」を超えた方とお近づきになれ、お話させていただいている時、もちろん「100」というのは数字に過ぎないのだけれど、やはりこう特別な風格、威厳というものを感じさせていただいた。

それとわたし自身の個人的なエピソードとなるが、この忘年会に小学校3~4年生の時期の担任の先生も参加しておられて、わたしは気づかなかったけれど、話しかけてきてくれた。
この先生は正直なところ、わたしの学校生活すべてを概観しても、最も相性のよかった先生と言って間違いなく、しかも客観的に見て、かなりわたしを「贔屓」してくれていた。
現在大人の視点でこの「贔屓」をわたしが見たのであれば、「ちょっと先生、それはいけないんじゃないですか」と苦言を呈するかもしれないが、当時小学3~4年だったわたしは贔屓されていることに気づきながら、その心地よさの中に身を委ねていた。
実際同級生がわたしに「~先生、~君のこと贔屓しちゅうね(←土佐弁)」と、特に非難がましくもなく呟いたその声も覚えている。
その先生、母の隣に座っているわたしに近づき、「~君やない」と、わたしの本名ではなく、当時のニックネームで呼びかけてきた。
「~君」の「~」に入るのはいかにも小学生らしい可愛らしさと滑稽さの入り混じった言葉なのだが、もちろん現在のハードボイルド&ダンディ(←こういうことは自分で書かないとね 笑)なわたしに似つかわしいものではまったくないが、先生としては子どもの頃通りにわたしを呼びたかったのだろう。
実はわたしはアルバムなどを見返すことはほとんどなく、当時の先生がどのような顔だったかはっきりとは思い出せない。
さすがにお年を召されたお顔になっておられたが、わたしと話をしていきながら徐々に感無量の表情で声を詰まらせるようになってくる。
(ああ、先生にとってわたしという生徒は今でも特別なのだなあ)と、それがいいことかどうかは問題ではなく、わたしもとても嬉しくなってきた、特別な時間だった。