末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、社会観察と映画の話題」

5月3日(日)手術後406日目
退院後212日目

これは「高知で」、しかも「わたしの見かけた範囲で」のお話ですが、スーパーなどで観察していると「マスクを付けてない人」、男性が多いです。
かなりご高齢の方から、20代前半の若いすぴーつマン風の人たちまで、マスクをしてない男性を見る機会がかなり多い。
夫婦と思しき、あるいは夫婦でなくてもカップルで、女性はマスクしておるのに男性はしてないという例も、とても多く見かけられます。

ちょっとどうかなあと。

ネットのコメントでは、「夫がまるでコロナ対策に協力してくれなくてうんざり」という「妻」たちの意見も少なからず見かけます。

前にも書きましたが、わたしはもともとマスクに積極的ではないのですが、現在は外出時、必ずしています。
マスクをすることでどれだけ実勢的に感染防止効果があるか、それはわたしには分かりません。
けれど現在の状況下、スーパーなどの店員さんや周囲の人たちのストレスを少しでも軽減するという意味では、マスク着用だけでも馬鹿にならない効果があると思います。
どうも男性がマスクをしてない姿、そしてカップルで女性だけマスクをして男性はしてない様子を見ていると、雑なマッチョイムズを感じることもあります。
もちろん人それぞれの事情があるでしょうから、一概にすべての「マスクをしてない男性」を非難しているわけではないですが。
そして言うまでもなく、女性でもマスクをしてない人、男性ほどの頻度ではないですが、少なからず見かけます。

・・・

『ガルヴェストン』にしても『レオン』にしても『グロリア』にしても、その主旋律は、

「命懸けで誰かを守る」

ということですね。

「命懸け」というからには、それは比喩的な意味ではなくて、本当に「命懸け」でなくてはならない。
そして現実には人間であるならば、「誰かを100%守り切る」のは不可能なんです。
「守る斬るのは不可能・・・しかし、命懸けで不可能に挑戦する。
そこに人間の、人生の価値があるのだと思います。

だからこそ、「わたしは必ず(誰かを)守ります」なんて軽々に口にするものじゃないですね。
本当に「命懸け」でやるのでなければ意味がないし、言葉に対する侮辱にさえなります。

『ガルヴェストン』でロイ(ベン・フォスター)はロッキー(エル・ファニング)を命懸けで守ろうとする。
ロイとロッキーはそもそも映画の冒頭で知り合ったに過ぎない。
なのにロイはロッキーを守ることに命を懸ける。
守れたか否かをここではもちろん書かないし、書くべきではない。
ただ、エル・ファニングはいつもに増して美しかった。
そして「命懸け」で守ろうとする「人」がいる人生の苦しさと美しさ。