末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と美学」

9月15日(水)手術後539日目 退院後348日目

電話をかけてきてくれた「歌う会」のN先生についてですが、母にとっては大切な友人の一人です。
「歌う会」は普通20人程度の人数が集まるのですが、その全員に母が親しみを持っているわけではなく、母はいつもにこやかだけれどその実難しいところもあって、容易に気を許さない性格でもあります。
N先生は母より少し年下ですが、ずっと前から仲良くさせていただいている大切な友人です。
しかしコロナ禍が加速してからはお会いできてない。
今回久々に電話でお話しできたのですが、聴けばその「歌う会」、毎月やっているにはやっているけれど、8月の会には5人しか参加しなかったといいます。
こんなお話を伺うとせつないですね。
「歌う会」に参加してらっしゃる方々の中にはそれが大きな生き甲斐になってる方もいるでしょう。
それなのに「5人」しか参加しなかったとは。
でもそりゃあ理解できます。
わたしの母もまだ参加してないし、メンバー全員高齢者ですから、躊躇して当然でしょう。
ネットのくだらない書き込みの中には、「高齢者は家に籠ってろ!」とか平気で述べる「クサレAHOU」が少なからずいるけれど、とんでもない話です。
ご高齢の方々だからこそ、もっと外へ出て(もちろん家で愉しめる方はそうすればいいけれど)愉しんでほしい。
そう考える人がもっと多くなってほしい。
ただ、コロナの現状がそうさせないのも事実ではありますが。

同時にですね、新聞などを見ていると、カルチャー教室などの多くは再開されていますね。
高知ではカルチャー教室などの参加者の多くは高齢者の方々ですが、どうなのだろうか。
わたしももちろん母にはいろんな催しへ出てもらいたいが、どの時点で何へ参加を決断できるのか、まだ迷いの真っただ中なのです。

・・・

スタバと買い物からの帰り、信号待ちをしている女の人がいて、とても綺麗な白いうなじだった。その人はほっそりと色白で、わたしの脳裏に浮かんだのはやはりアンヌ・ブロシェだ。
「うなじの美」にさほどの価値を置かないだろう欧米映画の中で、どういうわけかひときわ美しかったアンヌ・ブロシェのうなじ。
そう。アンヌ・ブロシェのうなじはいつだって、『白野・ド・ベルジュラック』と『めぐり逢う朝』の中で観ることができる。
と、ここまで書いてわたしは訝る。(本当に俺はアンヌ・ブロシェのうなじを見ているのだろうか。あのコスチュームプレイの衣装を着けたブロシェのうなじがそんなに見えていたのだろうか)と。となればひょっとすると、わたしの心の中だけのアンヌ・ブロシェのうなじ?