末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と芸術の話題」

10月11日(日)手術後562日目 退院後372日目

『極道の女たち 最後の戦い』がけっこおもしろかったぞ、と。
でもその前に、山口百恵・三浦友和の『絶唱』のお話ですな。
ただここから書く内容にはストーリー結末部分に関するものも含まれています。
いわゆる「ネタばれ」に近い内容でして、それを読みたくない方はスルーするという手もあるのですが、この「ネタばれ」に関しては、かつて「絶対ダメ」という意見が有力でしたけれど、例えば四方田犬彦などは、「ネタばれする程度で映画の本質が損なわれることはない」と言い切っています。
わたしの意見としては、まあわたしがしょっちゅう使う言葉で恐縮ですが、これまた「ケースバイケース」。
映画により、誰が話すか、誰に話すかにより、「ネタばれ」してもいいケースもあれば、するべきではないケースもあると思ってます。

さて『絶唱』ですが、何よりもまず山口百恵、三浦友和両人にかなりの「美」が感じられた。
ここで「かなり」なんて書くと、『スターに対して何を上から目線で言ってるんだ!』なんてとぼけたいちゃもんをつける御仁もおられるのだけれど、何らかの「作品を公開する」ということは、「各方面のいかなる感想や批評も甘んじて受ける」ということです。
その辺りを分かってない人が昨今多い。
「無名人は有名人に対してどうこういうべきではない」的なトンデモないカン違いをしている人がいるんでね。
この考えに基づけば、庶民派は政治家に対して何も言えなくなります。

それはさて置き『絶唱』で山口百恵と三浦友和はそこにいるだけで(ああ、美しいな)と感じるくらいの高いヴィジュアルを有していた。
これは『伊豆の踊子』や『潮騒』の頃には感じられなかったことです。

で、『絶唱』のストーリーラインなのですが、まず「身分違いの男女の恋」として始まり、周囲に認められないために二人で駆け落ち、しかし男は徴兵によって長期間戦場へ行く。
その間働きづめに働き、心身の疲労が極限となった女は病に倒れて死んでしまう。
戦場から帰った男は死んでしまった愛する女との結婚式と葬式を同時に挙行する・・・。

とまあこのようなお話が正味90分足らずの映画で語られるのです。
驚くべきは白無垢を着せられて結婚式・葬式へと運ばれる「死んだ女主人公」のメイク。
その顔の色はなかなか他の映画では見られないほどの、白と青と微妙な黒が混じったような、ちょっと背筋が寒くなるような色合いなんです。
映画というジャンルの大きな得意表現の一つはサイレント時代から「恐怖を描く」ことであって、『絶唱』の山口百恵の死化粧は「凄まじい恐怖」とまでは言えないまでも、「かなりの恐怖」であって、しかもそれがホラー映画ではない作品で表現されているところが出色でした。