末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と芸術の話題」

11月16日(月)手術後597日目 退院後407日目

母(お母ちゃん)の世話を手伝ってくれている者がこの11月職場の宴会の予定があって、できれば回避してもらいたいがというお話、以前に書きました。
それが、回避してくれたんです。
これは有り難かったですね。
ただ現在は医療関係者などでも普通に宴会をやっている人たちもいるという話も聞こえてきて、なにせ「GO TO」だからそうなっても致し方ない部分はあるけれど、しっかり感染対策をとるとか、ここは緊張感を失うことなく多くの人たちが生活を送っていくべきだと思いますが。

ところでこれも(ちょっと・・・)という感じなんですが、大阪在住の母の次妹が11月に法事のために高知へ帰省するというんです。
その際に少し母と話したいと。
まあそれは普通なら当然のことでして、こちらとしても大歓迎なのですが、この時期に帰省して法事ですか・・・。
しかしこればっかりは「来ちゃダメ」とは言えないし、「母(お母ちゃん)と会わないでください」とも言えないし、いささか気が重いです。
まあ感染対策をしっかりしているスタバあたりでソーシャルディスタンスを取りつつ30分くらい穏やかに歓談するくらいなら濃厚接触にはならないかなと思いますが。

もちろんインフルエンザも含めコロナ以外にもわたしたちは無数のリスクに囲まれて生きているわけでエスが、このご時世、リスクを増やす状況はできたら作りたくないので今回の件も(法事・・・ううん)となるんです。
母は大きな手術、長期入院後ということで、法事には出席しませんけどね。

・・・

『わたしは光をにぎっている』は、松本穂香演じる主人公澪が東京へ来ることから物語が動き出します。
銭湯を営む亡父の親友の家に住まわせてもらい仕事を探すけれどスーパーのアルバイトも上手くこなせない。
意欲が前へ出てこない澪に対して、早くに亡くなった両親の代わりに育ててくれた祖母から「目の前のできることから、ひとつずつ」という言葉をもらい一種の目覚めを経験する。
それから銭湯を手伝い始め、「ひとつずつやる」ことへの悦びを感じ始めるのだが・・・という展開です。

映画を観始めてすぐに驚かされるのは、その色彩配分の絶妙さ。
どのシーンも美しくしかし不自然ではなく、隅々まで繊細な色彩が配置されているんです。
すぐに監督が(ただ者ではない)ことが分かります。