末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と芸術の話題」

1月18日(土)手術後660日目 退院後460日目

12月ですが、BS朝日の『ザ・インタヴュー』のゲストに秋吉久美子が出ていて、とてもおもしろかったんです。

ただ秋吉久美子といっても、わたしはそんなに多くの出演作を観ているわけではない。
特に初期の重要な映画をまったく観ていない。
観たいなあ。
てことは愉しみがまた増えたなあ。

と言いますか、わたしはもちろん、人生の中で「かなり映画を観ている」と自負しておりますけれど、それでももうもう無数の未見映画が存在する。
当然のことのようで、これは凄いこと。
しかも毎年世界では新たに多くの映画が創られているわけですからね。
結局生涯の中でどれだけ映画を観ることができるか。
観ても観ても「未見の観たい作品がある」なんて、幸せなことであり、(頑張らねば!)とまた気合も入るところでもあります。
なにせ人間、何歳でも「急に死ぬ」ことありますから。
わたしは取り敢えず「いいコンディションで100歳以上は生きたい」と思っているけれど、当然ながら「今日死ぬ」可能性もいつだってある。
母(お母ちゃん)の介護をしているから、「絶対死ねない」というのはあるけれど、しかしどんな人間でも「絶対」はありません。
そのような自覚の下に生きていると、毎日映画を鑑賞できているのも奇跡、奇跡という言葉を軽々に使うべきではないけれど、奇跡です、これは。
時間を無駄にせず映画を観ていきたいです、ホント。

しかし映画もそうだけれど、これが「本」となるとまたその数は凄まじい。
読みたい本は無数にあるけれど、当然ながら読書は映画鑑賞以上に一冊一冊時間がかかります。
気を引き締めて、「いつ何を読むか」を日々決断していかねばなりません。

で、秋吉久美子のお話に戻りますと、幼少の頃から大変な読書家だったという。
デュマからディケンズからスタンダールからプーシキンから芥川から太宰から坂口安吾から、とにかく読んだという。
そして高校時代は文芸部の部長。
文集に小説や詩を載せていた。
そして我が意を得たりと思ったのが秋吉久美子、「人生の中でどのような人間と出会っても特に驚くことはなかった、なぜならば小説の中で多くの人たちに出逢っていたから」と、そのような意味の話をしていた。

そうなんですよね。
これが「読書の活かし方」のとても大切な一つの方法だと、わたしずっと思ってるんです。
映画も同じような要素があるけれど、単に「小説を小説として愉しむ」、あるいは「映画を映画として愉しむ」のも重要で、それこそ「鑑賞」の本文と言えますが、さらに「鑑賞を人生の中で活かす」ことを試みる・・・わたしこれ、絶対大切だと思ってます。
このテーマについても今後お話していきますね。