『飢餓海峡』での左幸子の官能的なシーンのお話を前回したが、「官能」あるいは「エロス」という要素は映画だけでなく、すべての芸術に欠けていてはならないものであって、そこが抜けていたり希薄であったりすると、作品としてはスカスカの印象になってしまう。

間違ってはいけないのが、ベッドシーンや俳優たちの裸体が炸裂しておれば「エロス」というお話ではなくて、例えば映画『羊たちの沈黙』がかくも傑作だったのは、シーンで言えば、クラリス(ジョディ・フォスター)とレクター博士(アンソニー・ホプキンス)の鉄格子越しのやり取り、それらの積み重ねと頂点となる二人の指が一瞬触れ合う場面・・・これらによりラブシーンなど存在しなくても濃厚なエロスとそして表裏である「タナトス」が充満した作品となっているのである。