●パキスタンのマララ・ユサフザイがノーベル平和賞を獲得しましたね。
そしてインドのカイラシュ・サティヤルィも。
マララは当ブログでも何度となく取り上げていますが、「子どもたちや女性たちに教育を!」が活動の根本です。
そしてサティヤルィは労働搾取される子どもたちを解放するための闘いを繰り広げている活動家です。
マララ・ユサフザイはご存知の通りテロリストによる銃撃を受け、奇跡的に命を取り留めたのみでなく、復帰後その思想や活動に大きく拍車がかかったことによって、「マララという存在自体」が「現代の奇跡・女性と子どもの心身解放のシンボル」と化しています。
マララ・ユサフザイがまだ10代であることについていろいろ言う向きもあるし、パキスタン国内の保守派を中心に「欧米の操り人形」と批判する人たちもいます。
しかしまず確実に言えるのは、「マララ・ユサフザイのような存在」は、世界の歴史上においても滅多に出現しない、という点。
その主張している内容がおかしければ批判されても仕方ないでしょうが、「すべての女性、子供たちに教育を!」・・・どこか間違ってます?
100%間違ってませんよね。
と、現代の真っ当な知性や理性に問えば、「当然だ!」という答えが返ってくるはずなんですが、ところが世界には「間違ってる!」と言う人たちが多くいる。
だからマララは11歳の頃からブログで状況を訴えざるを得なかった。
マララがいわば「世界のスター」になっていく過程で「欧米のメディアや政治勢力の介入や意図が多々あった」という意見も多く見かけますし、マララが銃撃されたのは「スターに祭り上げた人間たちの責任だ」という意見もあります。
確かにそうした要素がないとは言えない。
しかしわたしは、それら「裏の駆け引き」を超えたところにマララは存在し始めたのであり、その動向をこれからも熱く見ていきたい。
そんな考えです。