★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉#59021;

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

#59022;現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、ウォレス」篇。

「猫、ウォレス」

デヴィッド・フォスター・ウォレス
デヴィッド・フォスター・ウォレス
デヴィッド・フォスター・ウォレス
3度唱えてみた
呪文の如きに

・・・・・・

ぼくの素敵なネコは
最高の呪文でもある!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「『ユリゴコロ』吉高由里子、やはり『蛇にピアス』は特別だった」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

映画に戻ってくる(はず)の吉高由里子。
吉高由里子を一躍寵児とした映画『蛇にピアス』を監督した蜷川幸雄はもうおらず、しかし『蛇にピアス』をあらためて考えてみると、いろんな意味で「なかなかない日本映画」だった。
これから売り出そうという若手女優が演じる役としてはとてつもなくハードだ。
まず、「脱ぐ」。
映画上のフェイクとはいえ、身体に大きなタトゥを施す。
舌にピアスを付け、スプリットタン(蛇のように先が分かれた舌)となる。
もちろん原作者の金原ひとみは敢えてこうした世界を、「現代の日本」を描くために取り上げたわけだが、しかしそれが本当に「現代の日本」かと言えば疑問はある。
文学にせよ映画にせよ、「極端」を描かねば目を引かないというのはある。

吉高由里子はその後見る見るメジャーな女優になっていくのだが、有名な話で以前のマネージャーが実にやり手だったというのはけっこうだけど、結果的に『蛇にピアス』後の吉高由里子を枠に嵌める役割も果たした。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!