●ついにわたしは見出した!リンリン・ランランとゴールデンハーフのあまりの相違点を!あるいは、杜このみ『残んの月』。

末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

最近リンリン・ランランを観て、その得も言われぬ不可思議感に軽い頭痛を催しつつ5月の夜を眺めたわたしであるが、凝りもせずにゴールデン・ハーフの動画を視聴してしまうとはいかなる仕儀かと思わなくもないが、実のところそんな壊れた自分が嫌いではないのがわたしなのである。
日本人は「自己否定」感覚の人が多いのであるが、自己中心とか過度なナルシシズムでなければ、基本は「自分が好き」であるべきだと常々思うわけです。
あなたも「自分を好き」になってくださいね。
と言ったお話をするつもりで書き出したわけではなく、「杜このみの『残んの月』がいい!」と主張するつもりで書き出したわけでもなく、いや、それは実際「いい」のだけれど、この度ゴールデン・ハーフを視聴することで、子ども時代に曖昧だった事実を発見したのである。
つまり、
「ゴールデン・ハーフとリンリン・ランランはぜんぜん違う!」
・・・・・・
すごく馬鹿馬鹿しいことを書いてしまった気もするが、わたしの中でずっと曖昧に(似たようなもの)だったリンリン・ランランとゴールデン・ハーフの相違が明確になった瞬間なのである。
その相違を簡単に言えば、リンリン・ランランは「原則イロモノ的」であるのに対し、ゴールデン・ハーフは「かなり本格ポップグループ的」だということだ。
プロポーションも、リンリン・ランランが小柄で「ずどん」とした体形なのに対し、ゴールデン・ハーフはスラリとしてしかも十分にセクシーである。
ゴールデン・ハーフの持ち歌は米国ポップスのヒット曲のカバーが多く、当然楽曲はいいわけで、しかも「ゴールデン・ハーフのアダムとイヴ」などはベースラインの音も本格的だし、振り付けも大人のテイストに満ちていて観応えがある。
まあ、どうやらステージでは口パクのようではあるが。