●頑是ない子ども時代、「田舎の宴会」で「恋の歌」を披露したわたしに対して「あの人たち」の反応は?

末尾ルコ「昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

過去の出来事を辿ろうとしても、どうやらわたしは細かなことを明確に記憶しているタイプではないようだ。
(あの頃どうだっただろう)と思い出そうとしても、たいがいすぐには明確な情報が出てこない。
要するに、わたしはかなり曖昧な精神状態で、少なくとも子どもの頃は生きていたようだ。
といった検証はまたじっくりするとして、わたしは恐らく小学3年くらいまでは年に2回ほど、「田舎の宴会」へ参加していた。
「参加していた」と言っても小学低学年が自主的に宴会に出席できるわけもするわけもなく(する小学生もいるのだろうが)、否応もなく親に連れられて行っていたのである。
この場合の「田舎」とは母方の祖父母が住んでいる土佐市であって、土佐市は高知市の西隣にあるのだが、当時は縦横無尽に「田舎的要素」が横溢していた。
父方の田舎は高知市の東隣である南国市方面で、「方面」と書いたのはこれまたわたしの記憶が曖昧だからである。
父方の田舎へも行かなくもなかったが、祖父母が入院するまで同居していたし、母方の田舎的「宴会」を恒例とするような雰囲気はなかったのだろう。

さてその「田舎の宴会」なのであるが、今現在は宴席の類をすべて拒絶しているわたしがよく毎年出ていたなというベタな「田舎の宴会」であったが、そこは保育園から小学低学年の時期のわたし、さほど苦にしていた記憶もないのである。田舎の家中に充満する日本酒の匂いに、そこここで泥酔して意味不明の台詞を垂れ流す誰だかよく分からないおじさん、おばさん・・・よく毎年少なくとも2回、ああいう場に参加していたものではある。
もちろん田舎には田舎の楽しさも存在しているのだが・・・ちなみに大都市で生まれ育った方にとっては、「高知県自体」が「田舎」となるのだろうが、やはり地元の人間にとっては、「高知市」と「その他」は大きな違いなのである。

ところでその「宴会」、宴もたけなわになりつつある時分に、一人ひとり順番に「歌」を披露するというお約束があった。
わたしはまあ、例えば『子連れ狼』のテーマ曲なんぞを歌い、田舎のおじさん、おばさんの好評を博したりしていたわけだが、ある年、(具体的に何の曲かは思えてないが)アイドル歌手の曲を歌った。
もちろん題材は「キュンキュンする恋愛」である。(当時はまだ「キュンキュン」という表現はほとんど使われてなかったが)
少し恥じらいながらも歌い上げたわたしに対し、「まあ、この子も、恋のことを歌うことになったがやのうし(←ベタな田舎風土佐弁)」などとのたまったものだから、当時同級生との恋に悩んでいた(笑)わたしは内心、(ちっ!)と舌打ちしたものである。