●ケヴィン・スペイシー、スティ―ヴン・セガールらが行った卑劣なセクハラは許せないが、だからと言って、「作品」まで否定していいのか?

末尾ルコ「世界情勢の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

オスカー2度受賞のケヴィン・スペイシーは、いずれその輝かしい俳優としてのキャリアはそっちのけで、「薄汚いセクハラ男」として語られることになるのだろうか。
既にもうかなりそんな様相を呈している。

セクシャルハラスメントは憎むべき行いであり、断罪されてしかるべきであり、そして長年声を上げることさえできなかった女性たちの怒りが湧きたったマグマの噴火のように爆発しているのも分かる。
しかしだからといって、そのような卑劣な行いをした俳優などが関わってきた作品やその飛び抜けたパフォーマンスまで否定できるのか?
わたしはそれは、「違う」と思うし、「表現者たちの過去の悪い行いの断罪=その人たちが関わった作品の否定」が当然ということになれば、映画界だけでなく、芸術の世界、男性の創造してきたほとんどの作品が否定されかねない世界が到来してしまうと懸念している。