●「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン Tシャツ」男が見ていたものは?プロレスラーに対する「憧れ」とは?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

行きつけのカフェでちょいちょい見かける男性。
体形的にはヘイスタック・カルホーン、あるいはマクガイア兄弟的なのであり、少々、いやかなりウエートダウンした方がいいとは思うけれど、まあわたし、知り合いじゃないし、「ねえ君、もうちょっと体重減らした方がいいよ」などと差し出がましいことは言わない。
ウエートオーバーな人材は世の中に数多くいるわけで、それだけでは特段の注意を払うことはないのであるが、その男性にはわたしの心に(おっ!)と思わせる何かがあった。
黒縁の眼鏡をかけ、やや天然パーマ的な黒髪、唇は太いその男は、

「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン Tシャツ」を着用していたのだ。

いや、それだけではない。
あまつさえその男は、

「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンバッグ」まで提げているではないか!

ここでわたしは持ち前の、シャーロック・ホームズ&明智小五郎&フィリップ・マーロウ&リュウ・アーチャーもかくやとばかりに鋭敏な推理力を発揮した。

(この男は、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのファンに相違ない!)

・・・・どうです。見事な推理でしょう#57868;

ちなみに、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとは新日本プロレスの内藤哲也を首領としたグループで、配下にはEVIL、BUSHIなどがいる。

ある日その、ファンキーにしてウエートオーバーな男が明らかに夢見心地でテーブルに雑誌を広げて細かく読み込んでいた。
ちらっと見るともなしに見てみると、1ページに何人もの人物写真が掲載されている。
そう、間違いなく、

「プロレスラー名鑑」だ!

その憧れに満ちた眼差し、彼の身体全体から発散する満ち足りた幸福感・・・「プロレスこそ至上」と信じている時の人間の持つ雰囲気そのものではないか。
そう、わたしもかつて、『プロレス入門』を夢見心地で何度も何度も眺めていた時代があったのだ。
しかしそれはかなりの幼少時であり、目の前にいる男はどうだろう、30歳くらいだろうか。
その「プロレスラー名鑑」は現在のものだから、間違いなく日本人レスラーてんこ盛りであり、もしわたしがその名鑑を見たところで、彼とは「異なる人間」が見えるに違いない。
しかしこうしたシンプルにプロレスに憧れているファンが、プロレス界のとってはとても大切なのだ。

が、反面こうも思う。

「憧れ」とは何なのだ?
人はどのような人に憧れるのだ?
人はそう簡単に人に憧れていいのか?
そして、
「憧れられる人」、まして「人を憧れさせるように持って行っている人たち」の責任はどうなるのか?

特にプロレス界は、「憧れられなければならない」世界であるにも関わらず、かなりのお金と時間をプロレスに費やしているファンに対して無責任なことが多過ぎたのではないか。

などと思いを馳せながら、心の中でその男に、(もう30キロくらい痩せなきゃね)と囁いたわたしです(山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。