●1986年、日本の「メディア」は、満18歳の岡田有希子の遺体を「曝す」という醜悪な「倫理」を見せつけていた。

末尾ルコ「生と死、そして日本現代史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「自殺」に関する話題は最高度にセンシティブなものの一つである。
軽々に扱うものではないが、もちろんわたしは軽々に扱っているつもりはない。
そしてこれからの日本人、「自殺」に関してだけでなく、「生と死」についても日常的に深く思考しながら人生を送るべきだと強く信じている。
一つシンプルな例を出せば、人生において「生と死」を普段ほとんど意識してない人たちほど、怪しげな宗教や商法に引っ掛かるものなのだ。

戦後日本で生じた著名人の自殺で最も衝撃的だったものが、1970年、市ヶ谷駐屯地における三島由紀夫の割腹自決だったことに異を唱える者は、恐らくこの事件を知らない人間だけだろう。
しかし無数の学者、批評家、そして芸術家、ジャーナリストらにいまだ語り続けられている三島事件についてこの記事で何か語ろうとは思わない。
ただ、1970年はわたしも既に生まれており、幼少ではあるけれど、「三島恰幅」の時期に家庭内が色めき立っていた記憶はない。
あまりにショッキングな事件、「子どもには隠しておこう」という配慮が働いたのだろうか。

この三島事件とは比較しようもないし、「一人の人間の生や死」に軽重を付けるつもりもないが、1980年以降に生じた著名人の自殺としては、1986年の岡田有希子の事件が最もショッキングなものの一つではないか。
わたしは岡田有希子に対して特段の関心は持ってなかったが、同年に発表された「くちびるNetwork」で、凡百のアイドルから数歩抜け出た印象を持っていた。
「くちびるNetwork」という楽曲のよさもあったが、歌唱する岡田有希子に色濃いオーラを感じるようになっていたのだ。
その矢先の飛び降り自殺で、当時付き合っていたとされる俳優峰岸徹との関係も取り沙汰されたが、何よりも驚いたのは、路上で遺体となってしまった岡田有希子の写真が雑誌にでかでかと掲載され、普通に書店などで販売されているではないか。
遺体に対するカメラマンの冒涜的な所業の噂も一部メディアでは伝えられた。
もちろんわたしはそうした報道が事実だったかどうかは知らない。
が、少なくとも1986年の時点で日本の商業ジャーナリズムは、満18歳の女性のむごたらしい遺体を全国民に「曝す」という所業を行うようになっていたのだ。

ところで、実はこの自殺の数日前(だったと思うが、2日前とか、要するにかなり近い日)に岡田有希子が歌番組へ出演して歌っている姿を見たのだが、これは決して後づけなどでなく、異種異様な雰囲気を感じた。
それはひょっとしたら既に自殺を決意していた女性が歌っている姿だったのかもしれないと、今でも思っている。