●「セックスレス」と「プラトニック・ラヴ」の関係、はたまた豊登VSゴリラ・モンスーンの映像から、あるいは村上茉愛からどんなエロティシズムが見えてくるのか?

末尾ルコ「エロティシズムとプロレスと体操の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「セックスレス」の男女どころか、「セックスに興味がない日本人」が増えているなどという情報もしょっちゅうであるが、わたしは「プラトニック・ラヴ」も重要な愛の形の一つだと思っているけれど、それと「セックスに興味がない」状態はまったく異なる話だと見做している。
「セックスに興味がないプラトニック・ラブ」もあり得るけれど、より心そそられるのは、「セックスに対する欲望がありながらのプラトニック・ラブ」である。

しかしこの愛に関する話題はいずれじっくりするとして、12月のある夜、YouTubeで「豊登VSゴリラ・モンスーン」を観たのである。
「豊登VSゴリラ・モンスーン」と言ってもニュース映像として作られたものであり、時間にして数分程度だ。
しかしそのくらいの時間でも、昔のプロレスはコクがあるなあ、と。
わたしは巷間溢れかえる「癒し」という言葉の使われ方が嫌いだが、しかし本来の「癒し」自体は悪いことではなく、

「昭和プロレスを観る数分間は、とても素敵な癒しである」

と主張しようではないか。

この豊登VSゴリラ・モンスーンであるが、大人と子どものような体格差・・・もちろん豊登が小さく、体重にしてモンスーンの3分の2程度だったようだが、見た目は「半分以下」くらいの差に感じる。
しかしそんな豊登が力比べでゴリラ・モンスーンに買ってしまうのだから、説得力ないなあ、と。
この「説得力のないプロレス」が、ある種の「癒し」に繋がっているのだけれど、如何か?

その豊登であるが、やはり「見た目」が出色で、背が低く、全体に丸っこくて、脚が短いくて、しかもショートタイツに裸足である。
これは現在のプ女子が見たら、(いろんな意味で)キャーキャー言うのではないかと思うのだが、如何か?

で、女子体操の村上茉愛であるけれど、けっして無理矢理豊登との接点を探しているわけではないが、背が低く、脚が短く、大腿筋が発達し、しかも裸足である(笑)。

いやいやいや、やたらと腰の位置が高くなった日本人が普通である現代社会、村上茉愛のような体操選手に活躍していただければ、それは何よりなことなのである、とな。