●残酷にして深いバレエ漫画 山岸涼子『舞姫 テレプシコーラ』と「ネット中傷」の問題提起。

末尾ルコ「漫画とネット中傷の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」


大島弓子と山岸涼子、あるいは萩尾望都の3人は、女性漫画家の歴史の中でも常に「別格」の玉座の位置にあり続けているというのがわたしの認識である。
と言っても、わたしの女性漫画家に関する知識や読書量は極めて極めて限られたものであり、わたしに女性漫画家を論じるだけの蓄積が歩かないかと問われれば、自信をもって、「ない」と回答できるのだけれど、この文章は「論」ではなく「個人的エッセイ」だと位置付けていただきたい。
もちろん「エッセイ」という言葉の定義も一様ではないことも分かっているが、ここはツッコまない(方が、わたしにとって都合がよいから 笑)。

わたしが初めて読んだ女性漫画家の作品は、長谷川町子の『意地悪ばあさん』と『よりぬきサザエさん』だったことは間違いなく、そしてもちろんわたしが買ったわけではなく、家、あるいは母方の田舎の家に置いてあったのだと思う。
そして土田よしこの『わたしはしじみ!』と『つる姫じゃ〜っ!』はいまでもわたしにとって、「最高のギャグ漫画」の列に加わり続けている。
しかし同じ漫画家を多少なりとも続けて読んでいればよく分かるのだが、「才能」はどうしてもピークを超えると衰える傾向があり、「特に「ギャグ」という難しく、しかも「インスピレーション」が大きな役割を果たす分野は、高いレベルの持続が難しい。

その後わたしは、竹宮恵子の『地球へ』や『風と樹の詩』などを読み・・・とわたしの漫画読書歴を続けていたら長くなるので、

山岸涼子『舞姫 テレプシコーラ』である。

バレエを題材とした『舞姫 テレプシコーラ』は、篠原六花(ゆか)、篠原千花の姉妹が主役の漫画で、前者が妹、後者が姉である。
才能に恵まれた姉と、バレエを続ける上での肉体的・精神的脆弱性を持った妹を中心として話が展開する。

『舞姫 テレプシコーラ』の主人公二人の少女の画調はあくまでポップ。
「まさに少女漫画そのもの」なのだけれど、読み進むうちに「山岸涼子らしい」残酷な展開が散りばめられ、そして炸裂する。

この作品については今後も書いていくつもりだが、今回触れておきたいのが、「千花が精神的に追い詰められていく過程」であり、「追い詰める」原因の一つとして、「彼女に対するネットの中傷」が描かれているのである。
が、そんな中傷に対して、周囲の大人たちは結局、「こんなのは相手にしないに限る」とスルーを決め込むのである。
これこそ山岸涼子らしい「残酷な問題提起」であるが、さて、現実に「自分」や「大切な人」がネットの中傷に遭っていたら?
その悪質度にもよるが、わたしなら「スルー」はしないだろう。
あらゆる方法を考え、その「相手」の駆逐を狙う。