●小学時代の「夢精」と「自慰行為」とは?そして「好きな女の子」の時代。

末尾ルコ「エロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

小学時代はわたし正直なところ、「女性とセックス」なんていう具体的イメージはまったくなかった。過程でそんな話はしないし、学校で性教育があったかどうかも記憶にない。
男子よりも圧倒的に女子と遊ぶ機会の多いタイプではあったが、(この娘たちの誰かといつかセックスする)といったイメージを抱いてはいなかった・・・と思う。
「夢精」が始まったのは小学高学年だった。
「夢精」についても、誰からも習った記憶がない。しかしこれもわたしが覚えてないだけかもしれない。よく覚えているのは、初めての「夢精」の時、(寝小便をしてしまったのか・・・)と思ったことだ。その後自然と自慰をするようになったが、最初の1~3回目の自慰の恐るべき快感は、間違いなく初めてのセックスの時のそれより上回る。思うに、「セックスの快感」というものは、異論もあろうけれど、結局は「密接な感情の交換」であって、遊戯的セックスにはそれなりの快感がもちろんあるのだけれど、「最高度に密接な感情の交換」には及ばないとわたしは考える。
そして人生の中で、「最高度に密接な感情の交換」が可能な相手に巡り合うチャンスはそうそう訪れるものでなく、とてつもなく困難であるからこそ、わたしたちの魂は「それ」を求め続けているのだろう。

保育園から小学卒業まで、わたしは一人の女の子をずっと好きだった。
そう書くと、「子どもながら、なんと殊勝な純愛末尾ルコなのか!」とお褒めに預かれそうだが、話はそれほど単純ではない。
要するに、ほぼ9年間、わたしが「一人の女の子をずっと好きだった」のは事実だけれど、その期間、他に少なくとも4~5人は「好きな女の子」がいたのである。
まあ子どもだから、そんなものかもしれないし、わたしは小学卒業まで、具体的に「女子と付き合う」という発想がなかったため、誰とも付き合うことはなかった。
「ずっと好きだった女の子」はわたしの中で何だったのだろうと今でも時に思い出して考えることがある。
その娘はぱっちりとした目だったが、吊り目気味だったこともあり、よく「キツネ」と呼ばれていた。
が、脚は女子の中で一番早く、聡明な性格も相俟って、常に人気はトップクラスだった。
間違いなくわたしに対して気があったけれど、小学生のわたしには、「つきあってヨ」なんて言葉を口に出すのは不可能だった。