●ネッシーもクッシーもイッシーもいないだろうし、「ベントラベントラ」でUFOも来ないだろうという件について。

末尾ルコ「不可思議減少の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

このところ「ネッシー目撃」の情報が増えているという報道を少し前に見た。
その記事では「なぜ増えているか」という理由について、「SNS隆盛」などの指摘をしていたが、そうしたこととは別に、「ネッシー、いないでしょう」とわたしは前から思っているけど、いかがなものか。
わたしがネッシーを否定する理由は単純で、「一つの湖」という極めて限定されたエリアに生息されるとされる巨大生物が、しかも世界中から注目されているのに、「確たる証拠が出ない」はずがないではないか、ということだ。
これが、「海の生物」であれば話は別で、そりゃああのでっかい海だもの、まだまだ人間には未知の生物がいる可能性はあるだろう。
同様に、屈斜路湖のクッシーとか池田湖のイッシーとかも存在しないだろうと思う。

まあこうした恐竜的な巨大生物が現代に生息していたらかなり驚くが、いわゆる「未確認動物」と呼ばれてきたものたちで、本当に存在しても「だからどうしたの?」とわたしなら言いたくなる「動物」も少なからずある。
例えば「ツチノコ」なんか、もし存在したとしても、「ちょっと胴体の太い蛇」でしかないのに、なぜ騒ぐのかよく分からなかった。
同じく「ビッグフット」も、「もしいるとしても、ゴリラの一種でしょ」くらいにしか感じられず、わたしにとっては退屈な未確認動物だった。
で、わたしの亡父が「UFOネタ好き」だったお話は既にさせていただいたが、もちろん「UFOネタ好き」は同級生などにも少なからず存在した。
わたしも別に、「まったく興味がなかった」わけではなかったが、それにしても馬鹿馬鹿しい話が多過ぎた。
例えば、「ベントラ、ベントラ、スペースピープル」という呪文を、円陣を組んで唱えれば、「UFOがやって来る」なんていうことを本気で信じてやっていた女子もいたし!
こんな簡単な呪文でいちいちやって来る宇宙人って、「どんなに暇人なんだ!」の世界である。
(いくら子どもでも、こんなこと信じるなよ!)と子どものわたしは思っていたものだ。

コックリさんなどもそうである。
まあ、「ああいうやり方」は子どもにとっては興味深い・おもしろいものであることは分かるし、わたしもコックリさんを知った頃はとても興味を持っていた。
なにせあの禍々しさ、江戸川乱歩を愛読してきた少年にとってはこたえられないものがあったことは、あった。
しかしこれも、「自分を特別な存在だと思いたい・思わせたい」女子がしゃしゃり出てきて、あきらかに率先して5円玉(笑)を動かしているのがバレバレになってからはシラケて近寄らなくなったものである。