●恋愛と性的嗜好、そして外見の関係性~人はいかにして恋愛感情や性愛感情を持ち始めるか?

末尾ルコ「恋愛論とエロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

誰がどのような対象に性的欲求を抱くかは、まさに「個人的嗜好」によるわけで、AがBに対して(セックスをしたい)と思っていても、CがBに対して同じ欲求を抱いているかどうかは分からない。
ただ、ある文化圏のある時代にある程度共通する「社会的嗜好」は間違いなく存在する。
そうした「社会的嗜好」は「嗜好のマジョリティ(多数派)」とでも呼べるものであり、当然ながら「マジョリティあるところにマイノリティ(少数派)あり」ということも言える。
「~専」という言い方があるが、「~」の部分に「かなり太った婦人」「~歳以上」などという言葉を入れて、「嗜好のマイノリティ」の人たちの性的欲望を満たすサービスを提供すると謳う広告なども見かけるが、敢えてそうした表記をするのは、「マジョリティ以外の嗜好も逃さない」という欲望サービスの姿勢に他ならない。

などと妙に堅苦しく書いてしまってそれもどうかと思うが、ここで少々「わたしの個人的嗜好」について検証してみようと思う。
(何で、末尾ルコの女の好みなんか読まなきゃいけないんだ!)と感じる方もいるだろうが、この機会にぜひ「あなたの嗜好」についても客観的に俯瞰していただければ幸いである・・・というのも書きながら思いついたことではあるが。

さてわたしの場合、「恋愛・性愛の対象」は「女性のみ」である。
実は過去に男性の同性愛的傾向にある人に狙われたことはあるが、きっぱりとお断りした。
もちろんマイノリティ差別ではない。
男性に恋愛、あるいは性愛感情を持たれても、わたしにはそれに応える要素はまったくないのだ。

では「女性の好み」はどうかということになるが、外見的には、

「中肉中背、バランスの取れた顔立ち」

と、けっこうおもしろみのない回答となる。
例えばかつて男性週刊誌のグラビアを「巨乳タレント」と称される女性ばかりが飾っていたかのような時代があったけれど、外見的にはわたしは苦手だった。
胸は多少あるくらいで十分である。
とは言え、たまたま好きになって付き合った女性の胸がかなり大きかったことはあるが、多くの人がご存知のように、「好きになってしまえば、「こう」だと思っていた好みは関係なくなるものなのだ。
その前提でのお話だけれど、わたしにとっては胸よりも脚が重要で、特にふくらはぎから足首の線は自然と重視してしまう。
これもまあ、「太過ぎず、細過ぎず」というところだけれど、身体全体のバランスの上でどうであるかも意識してしまう。

このテーマはあまりに深いのでどんどん続けるが、もちろんわたしは「女性の外見」のみを値踏みしているわけではない。
「内面に対する嗜好」についても今後言及していくが、恋愛について考えるときに、「内面だけ」なんていうことはまずあり得ないわけで、特に「出会ってから、感情が接近するまで」は外見が大きく影響してるものなのであるから。