●「記憶の遠近感」~新宿伊勢丹前 猪木襲撃(笑)事件、そしてスリーパーホールドから「リア・ネイキッド・チョーク」へ。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

新宿伊勢丹前で、タイガー・ジェット・シンがアントニオ猪木を襲撃(笑)したのが1973年であり、猪木がストロング小林と2度に渡って対戦したのが1974年である。

この日本プロレス史において極めて重要な出来事が起こった時、少なくともわたしはまだプロレス詩を買っていなかった。
これら出来事はわたしがプロレスファンになった時点で既に「伝説」と化していた。

しかし1975年、全日本プロレスはオープン選手権を開催し、アントニオ猪木はビル・ロビンソンと対戦した興行戦争勃発の時点では、わたしはもう目に入るプロレス誌、古本屋で漁った過去のものも含めて購入しまくり、読みまくっていたのであるから(親に買ってもらって 笑)、その前年と前々年の出来事に「伝説」のイメージを持ったのは、わたしがプロレスビギナーの子どもだった故か、あるいはこの両イベントがそれほどまでの猛烈なインパクトを持っていたのか。

それにしても全日本プロレスの『チャンピオン・カーニバル』って、今でもやっているのだなあ。
最近のレスラーの名前がよく分からないのは致し方ない(?)が、第28回とかは優勝が 諏訪魔で準優勝が棚橋弘至になったりしているのだね。
へえ~、棚橋が出てたのか。
ところで諏訪魔って誰?
第30回とかは、優勝が鈴木みのるで、準優勝が船木誠勝。
もちろん、「パンクラス対決」を狙ったのだろうけれど、第1回優勝がジャイアント馬場で、準優勝がマーク・ルーインだったというビンテージ感からはずいぶん隔たってしまっているではないか。

この第1回チャンピオン・カーニバルは観ていないけれど、少し前にマーク・ルーインの若き日の動画を観たら、けっこう二枚目風でバランスの取れた筋肉隆々の体をしたベビーフェイスとして戦っていた。
その太い腕で相手を締め上げるスリーパーホールド~アナコンダ殺法の分かりやすさは子どもにも伝わってきて、当時プロレス誌などの説明で、「スリーパーホールドは首を絞めるのではなく、顎の上から絞めるもの」という意味の記事を読んだ記憶があり、わたしがプロレスの練習をし、中学生プロレスの実践においても、「スリーパーは顎の上から」をしっかり守っていたものである。
プロレスルールでは「首締め」は反則ですからね。
そうした前提があったからこそ、パンクラスが旗揚げした時、選手たちによる「首へ入れる」チョークスリーパーの連発が衝撃的だったわけだ。

現在総合格闘技(MMA)の世界では、「リア・ネイキッド・チョーク」と呼ばれる「首締め」だが、この「リア・ネイキッド・チョーク」という英語の「音」が大好きだし、入ったら一瞬で相手が落ちてしまう劇的な展開になるのも素晴らしい。

プロレスの「スリーパーホールド」でとても印象的なシーンの一つが、バーン・ガニアVSジャンボ鶴田。
立った状態でガニアのスリーパーが入ったけれど、ジャンボはしばらくの間苦悶の表情を浮かべつつ、腕をバタバタさせる、得意の臭い芝居。
鶴田の場合どうしても、(若い頃からしっかりプロデュースされていたら・・・)という思いにはなってしまう。