●末尾ルコ、一部個人情報を公開?「苦手なもの」はこれだ!~あるいはシイタケやラムスデン現象への試み。

末尾ルコ「食の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「シイタケが苦手なんです」「このコーヒー、シイタケの薫りはしないですよね」
といった粋なギャグが行きつけのカフェでバカ受けしてしまったわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。
しかしこのギャグをわたし以外の人間がそのまま真似してウケるとは限らない。
「日常生活の中でギャグがウケる」ためには様々な条件を「自分で創り出す」ことが必要なのである。
が、今回はその話ではない。
その話はまたいずれしよう。
今回は、「苦手なもの」の話であり、わたしは確かにいまだシイタケが苦手なのだ。
他のキノコ類は概ね大丈夫である。
しめじ、舞茸、エリンギ、マッシュルーム、なめこ、稀にトリュフ・・・うん、嫌いなものはない。
シイタケだけはいまだ駄目である。
あの薫り、あの味・・・どう表現すべきか、兎にも角にも他のキノコでは味わえない「シイタケそのもの」である。
そして他のキノコに比べて、「かさ」の存在感が巨大すぎる、肉厚すぎる。
しかし一切シイタケを食べられないわけではない。
ちらし寿司などに乗っかっている、薄切りにして甘く煮付けたシイタケであれば、ほとんど「シイタケそのもの」の味がしないので、ほぼ違和感なく食せるのである。

肉の脂身も苦手だ。
それは牛、豚、鶏など、どれも同じことだ。
牛肉の脂身はブリブリと弾力性があり、容易に噛み切れない以前に、あの歯応えと異様な味わいもまったくダメだ。
豚肉の脂身は、心持ち存在するくらいなら問題ないが、ピロピロした状態でわたしをあざ笑っているかのような脂身に対しては、既に視覚的にも受け付けず、口の中へ入れることさえできない。
さらに鶏肉のぬめりとした脂身、そして皮もダメなんだなあ、おれっち。

子どもの頃の話をしよう。
夕食によく出された味噌汁や吸い物だが、その中に浮かんでいた「麩(ふ)」なのだけれど、わたしにはまったく理解できなかった。
(なぜ味噌汁の中にこのような物体を入れねばならないのか?)
水分を十分に吸い込んだ麩は既に固形なのか液状なのかの判別さえ不可能で、もちろん噛むこともできない。
口の中でドロリと蕩けるあの食感は子どものわたしに軽い眩暈を起こすには十分だった。

そしてこれは多くの方に同意いただけると思うけれど、

「ラムスデン現象」である。

そう、ラムスデン現象。
温めた牛乳の表面に膜が張る現象のことだ。
あの膜を「好きさ!」という人類は存在するのだろうか?
いや、きっといるのだろう。
どこかに。
日本のどこかに、
世界のどこかに・・・・。