●『サバイバル・ウェディング』で30歳の誕生日に「独りぼっちでいたくない」という女の描写について~ボクシング「山根会長劇場」の次は?~「高知代表は明徳義塾よりも高知商」という感情は?

末尾ルコ「人間&社会観察で、知性と感性を鍛えるレッスン」

まあ別にいいのだけれど、波瑠の『サバイバル・ウェディング』第4話。
主人公の波瑠が30歳の誕生日を迎えるのだが、「独りぼっちの誕生日」が辛くて迷走する・・・と、まあそのようなシーンがメインになっているのだけれど、独りぼっちの誕生日が辛いって、小学生くらいまでならまだしも、中学以降はそんなメンタリティダメだろう。
仮に『サバイバル・ウェディング』が結果的に「一人ぼっちでもいいんだよ」というメッセージを発するドラマだったにしても(第4話限りもう観ないので、わたしは知る由もないが)、30歳になる「独りぼっちの誕生日」が辛くて迷走するなどというシーンがあるだけで、気色悪くてもう観る気はしなくなる。

ところでわたしは、「ぼっち」という言葉が大嫌いである。

誕生日についてだが、少なくとも大人になってからは、「自分の誕生日」など祝ってほしくないし、バースデイパーティももっての外である。
ただ、人の誕生日に、例えば好意を持っている女性とか、好感を抱いている知人とかに贈り物をするのは好きだ。
そして何らかの形で人生の苦楽を共にしている人がこの世に生を授かったことを祝うためのちょっとしたパーティならば喜んで催すだろう。
しかしそのようなことは、「そのようなことに相応しい人間関係を築き上げている場合」が大前提だ。
ただひたすら、「自分の誕生日に誰も祝ってくれな~い、寂しい、辛い」という意識は、「人間関係構築」以前に、「独りでいたくない、誕生日は誰かに祝ってほしい」という形式に憧れている甘えが中心なのではないか。

日本ボクシング連盟の山根明会長が辞任したが、これで「山根劇場」もそろそろ終わりということで、メディアは次のネタを見つけるのに躍起になっているに違いない。
それにしてもボクシング関係者の間でしか知られてなかった山根会長なる人物を朝から晩まで放送しまくるとはご苦労なことで、山根明氏も一世一代の大舞台を存分に炎上、いやエンジョイした、かもしれない。

夏の甲子園、今年は高知県代表が高知商業である。
わたしは「甲子園での高校野球」自体、無くなってもいいと今では考えている人間なのでどうこう言うべきではないかもしれないが、正直なところ、高知代表としてあまりに明徳義塾は「出場が多過ぎた」。
出場が高知商業だと、高校野球に興味を失っているわたしでも、ちょっと観たくなる。
そしてこれは多くの高知県民の本音であると思う。
そしてさらに言えばこの感情は、「外国人に対する日本人の排他性」とはまた異なる次元のものだと思う。