末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画の話題」

4月29日(水)手術後402日目
退院後208日目

いろいろ話題のマスクについて少し私見を述べさせていただきましょう。
わたしはもともとは、滅多にマスク付けない人間でした。
どれどころかマスクを付ける人が多い日本社会の習慣にやや批判的でした。
しかし今はもちろん、「人がいる場所」にはマスク着用してます。
わたし自身が無症状感染をしている可能性を考慮し、万一そうであれば人に感染させるかもしれない可能性を考慮し(すべての人間にこの可能性があります)てのマスク着用という理由が大きいですが、それ以上に、

「周囲の人、特にスーパーなどで働いている人の精神的重圧を少しでも軽減させたい」

という気持ちが大きいです。

多くの商業施設が休業している中、生活必需品を販売するスーパーやコンビニのスタッフさんたちは毎日多くのお客さんが押し寄せてきて、言い知れぬ不安やストレスに苛まれているはずです。
そんな時節、お客さんがマスクをしているとしていないとでは気持ちはかなり違うでしょう。
そうしたことを考えれば、今マスクを着用するのは人間同士の精神的マナーとして当然ではないかと思います。
まあ不寛容な気持ちは持ちたくないですが、わたしは原則、80歳を超えた母と行動してますので、スーパーなどでマスクをしてない人がいるとできるだけ近寄らないようにしてます。
疑心暗鬼にはなりたくないし、潜在的な無症状感染者がかなり存在することを考慮しても、なんだかんだ言って現状の高知では感染者と接触する可能性は低いと思うけれど、高齢者が感染した際のリスクを思えばどうしても(もし)を考えてしまう。
ちょっと譬えとしてはよろしくないですが、ジョン・カーペンター監督の『遊星からの物体X』という映画がありましたね。
南極大陸で、宇宙から来た「物体」が体内に入り込んでしまった人間が次々とグロテスクな姿に変形していく。
もちろんいかなる病気であろうとも、感染した人、罹患した人をこのような映画で表現される「グロテスク」に譬えることはあってはなりません。
ここでわたしが言いたいのは、『遊星からの物体X』で描かれていた、そこにいる人間たちがお互い(誰が感染しているんだ・・・)と疑心暗鬼に陥る状況が現在の世界の様子と似ているということです。
歴史的にも人々の疑心暗鬼が社会の分断や差別を生んできたことは明らかですが、ただこの時節に軽率な行動をする人たちについてはわたしも怒りを覚えざるを得ず、こうした感情の善し悪しについてはまだ結論を持っていません。