●末尾ルコ かつて語ったジョルジュ・バタイユ「眼球譚」「マダム・エドワルダ」の爽やかな変態と悪徳を堪能!

2015年にジョルジュ・バタイユの「眼球譚」「マダム・エドワルダ」を本当に久々に読み返したんです。
言わずと知れたフランスの哲学者ジョルジュ・バタイユ。
わたしは高校時代に初めて「眼球譚」「マダム・エドワルダ」 を読んだのです。
ジョルジュ・バタイユの「眼球譚」「マダム・エドワルダ」は割と近所の本屋などにも普通に置いてました。
最近は「近所の本屋」という存在が少なくなってきてますからね。
東京など大都市の大きな書店なら今でもジョルジュ・バタイユとか問題なく置いてるでしょうが、これはある程度仕方ないことかもしれないけれど、ある種の本の売れ行きが東京と地方ではまったく違う傾向になってしまう。
日本が人口減の社会となり、「東京」と「地方」の比較や対立構造が今後さらに浮き彫りにされてくるでしょうが、確かに地方には東京にないいい要素が多くあるけれど、例えば映画とか音楽とか書物の話をしたくても周囲になかなかその相手がいないという現実はしっかり見据えていなければなりません。

ところでジョルジュ・バタイユの「眼球譚」「マダム・エドワルダ」ですが、そりゃもう性欲と悪徳まみれのハチャメチャ小説・・・のように感じるけれど、爽やかなんですね、これが。書かれている内容はとんでもない、繰り返しますが、性欲と悪徳、さらに言えば変態性欲まみれ。
ところが「乾いた笑い」に満ちていて、しかも下卑切らない。
ジョルジュ・バタイユならではの芸当と言えましょう。