わたしは末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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OJシンプソンは日本ではさほど知られてないけれど、米国ではアメリカンフットボールの大スターから俳優などに転向、ところが元妻殺害の被告人となるなどの事件の当事者となり、スキャンダルの中心人物として過熱報道の真っただ中に位置した時期もありました。
この件について詳しくはお話しませんが、過去の映画などを観る際の愉しみ、時に意地悪な愉しみの一つが、

(あの頃はこんなに売れてたのに、結局そこまでの人だったのね)

というヤツですね。
いやな感じの愉しみですね~(笑)。
そしてもちろん、「売れたからクオリティもいい」というわけでも、「売れないからクオリティが悪い」というわけでも、必ずしもないこと、ここは強調したいですが、そう、「大衆が間違っている」こと多いですからね。
ちょっと複雑な問題で誤解を招きかねない要素もありますが、けっこういますよね、「結局大衆は正しい選択をする」という考えを開陳する人たち。
わたしの見方では、そんなことぜんぜんないです。
大衆が正しい選択をする場合もあるけれど、多く間違った選択をしてしまう。
歴史的にそんな間違いの最たる例の一つがドイツにおけるナチス政権選択でしょう。
もちろんそれは後になったから言えるということもある。
当時のドイツ人にとっては切羽詰まった致し方ない選択だった、という要素もあったでしょうが、もちろんこの件についても単純に語ることはできない。
ただですね、ある時期やたら売れてた人で、わたしが個人的に気に入ってなくて、ずっと後に丸っきり忘れられた存在となっていたりしたら、(ざまあねえや!俺の感覚が正しかったじゃねえかよ)とは密かにほくそ笑んだりします。
まったく博愛主義的ではないですが、わたしはイエス・キリストではないですから、「汝の敵を愛せよ」とはなかなかいきません。
そしてまあ、一旦落ちた人の評価がまた上がるケースもあります。
わたしの基本スタンスとしては、

「実態の伴わない高注目度や高い人気」

と思しき人たちに対してはかなりきつめの視線を送っています。