どこまで「寛容」であるべきか。
このテーマについて、いまだ結論は出ていない。
イエス・キリストはどれだけ「寛容」だったのか。
わたしはクリスチャンではないが、イエス・キリストを尊敬する気持ちは強いし、
聖母マリア信仰ほど美しいものは稀だとも考えている。

けれどイエス・キリストは、多くのクリスチャンが信じているほど「寛容」ではなかったようにも思う。
わたしはイエスにとてつもない「峻厳さ」を感じるのだ。
そして間違いなくスマートな知性を持った人物だっただろう。
そんなイエスだけれど、峻厳さもスマートさも凌駕するPASSIONがあったに違いない。

十字架は彼のPASSIONの象徴でもある。