さてロック・スピリット、あるいはロック・スピリッツなどと書いてしまったが、そんなこと定義できるわけもない。
この人に「ロック・スピリッツがあり」、あの人に「ロック・スピリッツがない」などというのはある程度主観で判断するしかないが、世の中には「信頼できる主観」というものが存在するのである。
わたしの主観が信頼できるかどうかをとりあえずわたしの主観で判断すると、「わたしはわたしの主観を非常に信頼している」ということが言える。
「100%」ではなく「非常に」としたところがわたしの謙虚なところだ。

1月にTBSの「筆談ホステス」を演じるという北川景子。
普通ならこの手の「泣かせ」目的「実録物ドラマ」(人を泣かせるなんて悪いやつなんだぞお)は完璧忌避するわたしでも「北川景子なら」と期待を持つ。
それはそうだろう。
「ブザー・ビート」であれだけ一人暴走してくれたのだから。
「月9」だのの(フジテレビの期待する)概念を遥かに逸脱した北川景子の暴走ぶり。
これがロック・スピリッツでなくて何だというのか?

吉高由里子は・・。
ロック・スピリッツ!と断言したいところだが、少し違う気もする。

ロック・スピリッツと真逆となると、すぐに浮かぶのが相武紗季、上戸彩、藤原紀香ら。