●全日本プロレス「オープン選手権」と猪木VSビル・ロビンソンの1975年。その2

末尾ルコ「プロレス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」

1975年、全日本プロレスの「オープン選手権」は結局開幕戦が最も盛り上がり、その後はどんどん盛り下がるという意外な結果となった。
その点は1977年の「世界オープンタッグ選手権」で、最終戦でファンクスVSブッチャー・シーク組の伝説的な名勝負を生んだ展開とは対照的でさえあったと言える。
なにせ「オープン選手権」は最終戦がジャイアント馬場VSホースト・ホフマンというシブ過ぎるカードとなってしまったのが逆に印象に残っているほどである。
ただ、このホースト・ホフマンは当時から、「実はとても強い実力者」という評判もあり、いずれまた検証してみたいと考えている。
「オープン選手権」の開幕戦でドリー・ファンク・ジュニアVSアブドーラ・ザ・ブッチャーという「夢の対決」がいきなり実現し、これはもう心に焼き付いている。
この試合は結局ブッチャーの反則勝ちとなっているが、ドリー・ファンク・ジュニアの入場シーンだけでワクワク度が最高潮になった。
後年「テリーの兄」という情けない位置付けになったドリーとはまったく違い、高級感に満ち溢れていた、と感じたのは日本製プロレス本の影響を受けまくっていたプロレス少年の幻影だったのだろうか。