●アントニオ猪木の全盛期におけるセメントの強さに関する検証2018年4月版。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

プロレスというジャンルで「強さとは何か」という問い掛けは、実は極めて複雑な思考を要求されるものなのだ。
さらにその思考は時代とともに変更を余儀なくされる。
プロレスはどの試合も「勝敗」を決めているけれど、その行方はスポーツとしての勝負ではなく、「興行が継続的に発展するための勝敗」という場合がほとんどだ。
そうなれば、各試合の「勝敗」とは別に、「客を呼べるレスラー」が多くプロレス界で「強者」と位置付けられる。
しかしプロレスは一人でできるものではないから、興行を組む範囲で「客を呼べる試合を創ることのできるレスラー」が相当人数必要である。
この傾向は昭和の時代のプロレスよりも現在の方がかなり強くなっている。
かつてのプロレスはレスラー同士の「自我VS自我」が試合に表れる要素が大きかったが、現在は各レスラーの自我は薄れ、「試合に関わるレスラー皆で盛り上げよう」という「コラボ感覚」ばかり目立ってしようがない。
そうした「コラボ感覚」からかなり遠かったのがアントニオ猪木なのだが、猪木自身がかつて常にちらつかせていたのが「コラボ感覚」から真逆の、(自分はセメントをやらせたら最強なんだぞ)という主張だった。
猪木ファンの多くは単純にそれを信じていたし、わたしもかつては同様だった。
しかし現在、プロレス、そして格闘技の様々な動画がいつでも視聴できる環境となり、わたしの意見は大きく変わっている。
現時点での、「アントニオ猪木、全盛期におけるセメントの強さ」についての私見をコンパクトにまとめてみよう。
もちろん「全盛期の猪木に対して、当時のファイターがセメントで戦ったら」という前提であり、現在のMMAファイターと比較したりはしない。

1「VS日本人レスラー」・・・これはトップクラスだっただろう。そもそも猪木ほどの体格のレスラーはほとんどいなかった。
体格の劣る日本人レスラーのほとんどに対しては、特に技を出さなくても、「殴る蹴る」で倒せたのではないか。
格闘技における体格差というものは、それだけ決定的であるはずだ。
ということは、「猪木より大柄なレスラー」に対しては苦戦、あるいは敗戦を余儀なくされただろう。
全盛期の馬場もそうだが、特に坂口征二やジャンボ鶴田など、体格に勝るだけでなく、正規の格闘技で実績ある相手に対して勝てるイメージが湧かない。

2「VS外国人レスラー」・・・ヘヴィー級の外国人レスラーの多くが猪木より大柄であり、特に身体の厚みは大きく違う。
スーパースター・ビリー・グラハムのように「ボディビル筋肉だけ」のレスラーであれば勝てただろうが、猪木より体格がよく、しかも格闘技の経験者、あるいは「喧嘩の強者」的レスラーたちのほとんどに勝てるイメージが湧かない。
打撃の専門的スキルのない猪木が自分より体格のあるレスラーに勝つとすれば、サブミッションに活路を見出すしかないが、まったくの素人でなければ、自分より骨格や筋力の強い相手にサブミッションを成功させるのは極めて困難なものである。

というわけで、けっこう長くなってきたので今回はここまでにしておくが、こうした検証、今後も適宜アップしていく。