●「偶像崇拝」とは程遠い日本のアイドルだけれど、小柳ルミ子・南沙織・天地真理はスターと言えたのではなかったか?あるいはいまだ健在の榊原郁恵の「作り笑顔」スキルとは?

末尾ルコ「音楽と日本芸能史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「偶像崇拝」とは宗教的指導者などを象った彫刻や図像を崇め奉ることであり、英語で「Idolatry」と言う。
ここに「Idol」と付いていることで明らかなように、そもそも「アイドル」という言葉はこうした「特別に崇拝する偶像」を指す言葉であって、決して数十人の若い女が短いスカートをひらひらさせて口パクで踊る状態を指す言葉ではなかった。
などと分かり切ったことを書くのは、そしてもちろんどこかの国の言葉が別の国の言葉として使われるようになる場合に言語の意味から大きく逸脱することが多いのも十分知ってはいるが、それにしても日本全国津々浦々、ここまで「アイドルだらけ」になり、それが「当然」であるかのような状況はどうなのかと、疑問さえ投げかけられなくなっているから、わたしが投げかけるのだという雄々しさよ。
わたしが子どもの頃のアイドル歌手と言えば、やはり小柳ルミ子・南沙織・天地真理の3人の印象は強力で、他にはもちろん麻丘めぐみもいましたわい。
ちなみに現在、麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」を歌わせて抜群なのは丘みどりである。
小柳ルミ子・南沙織・天地真理を「新三人娘」と呼んでいたことは最近知ったのだけれど、わたしのイメージとしては、彼女たちは「アイドル」という言葉よりも「スター」という言葉が似つかわしかった気がする。
「新三人娘」は1971年デビューなのだが、これが1977年デビューの女性アイドル歌手を見てみると、榊原郁恵、高田みづえ、清水由貴子、大場久美子、香坂みゆき、荒木由美子など、ぐうっと泡沫感が、と言っては失礼かもしれないが、「新三人娘」のメジャー感と比べるとそうでしょう。
まあ榊原郁恵なんかはずうっとメジャーな雰囲気はあるけれど、ちょっとわたしには理解不能の世界だし、わたしの周囲に榊原郁恵のファンはいなかったのだがどうなのだろう。
大場久美子のファンはけっこういました、はい。
榊原郁恵のあのテンションの高さ、「登場の途端に満面の笑みとなる」、あの作り笑いのスキルって、今でもよくやっておりますな。
わたしは山田花子のネタが好きなので、NHK『生活笑百科』をよく観るのだけど、榊原郁恵がゲストで現れた時の「ハイテンション作り笑顔」には、(ここでもやるか!)と脱力したものだ。

しかしその後の時代、松田聖子や中森明菜、小泉今日子ら、結果的に大物になっていくアイドルも出てきたわけだから、「時代を下るごとにショボくなってきた」というわけではない。
まあ「アイドル論」的なものは、「アイドル評論家」的な人たちがいくらでもやっているけれど、けっこうアホらしい内容のものが多いのですな。
というわけで、わたしは別に「(日本製)アイドルを語りたい」わけではないが、日本の芸能界がもっとおもしろく、そして成熟してほしいとの希望があるのであり、そうした文脈で今後も語っていくだろう。