●「耳の孔が痒い」についての小さなエッセイ&「櫻井・有吉THE夜会」にも登場、「オーラの色で性格判断」なんてインチキでしょう。

末尾ルコ「身体トラブルと超常現象の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「非常に厳しい状況」というものは毎日の生活の中、もっと言えば、人生の中で無数にあるけれど、例えば次のような状況もその一つに入るのではないか。

「耳の孔の中が痒いのに耳かきがない状況」

「痒い」というのは常に「厳しい状況」になりえるのだけれど、「耳の孔」の痒みはまた格別だ。
「痒さ」に独特の切迫感がある場合が多く、ある程度の深さ居場所の痒みであれば、指ではかけない。
だからこそご理解いただけるだろう、「耳の孔の中が痒いのに耳かきがない状況」がいかに厳しい状況であるかということを。
「耳の痒さ」に切迫感がある場合はもういてもたってもいられなくなる。
別にすぐにかかなければ死ぬというわけではないのに、その「痒さ」に座ってはいられない。
そんな時、耳かきがなかったら・・・。
しかも「耳の痒さ」の場合、かいた時の心地よさは「恍惚境」と表現しても差し支えないだろう。
「うくっ・・・」と声が出る。
「あふうっ」と声が出る。
「こと」が済めば、「ふうう・・・」と心底の満足のため息をつくことになる・・・。

「痒い」という厳しい状況は、常に「かけば、心地いい」という方程式が成り立っているので厄介だ。
さらに言えば、「書けば、心地いい。けれどかき過ぎると悪化する」という方程式も。

話変わって、4月某日、TBS「櫻井・有吉THE夜会 ~菅田将暉の今年一番忙しい日に完全密着!~」という番組を、菅田将暉推しで観たのだが、番組中、「スタッフの知り合いで、
オーラが見えるOL」という人物があらわれた。
その人物は顔や名前などを出さずの登場であるが、「人間のオーラの色が見える」と自称。
ゲストの菅田将暉を始め、出演者の「オーラの色」と、それら「色」に振り分けられた「性格判断」を次々とやっていたのだが、実に馬鹿馬鹿しい時間だった。

わたしは「オーラ」の存在自体は必ずしも否定しないが、それはあくまで「未知のもの」であり、「あのスターからは強いオーラを感じる」といった控え目な認識である。
それが、「すべての人のオーラの色が見えて、性格判断もできる」とかいう話になると、

「バカも休み休み言え!」

と思ってしまう。
そもそも「色付きのオーラ」自体の存在が怪しいのに、しかも「それが見える」なんて、「当人が言っているだけ」ではないか。
いわば、「いや~、昨日はタイムトリップで、フランス革命を見てきちゃったあ!」なんて言い出す人の話を鵜呑みにするのと変わらない。
さらに、「性格判断」までされて喜ぶとか・・・「いい加減に、しなしゃい!」の世界である。