わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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5月下旬、家の周囲で鶯が鳴いていた
少し遠く聞こえた
その後
神社の杜の中から
鶯の
とてもはっきりした鳴き声が
聞こえた
その次の日、
マリーゴールドと
サンタンカを買った


香川京子の主要なフィルモグラフィを復習すると、

『ひめゆりの塔』(1953年)
『東京物語』(1953年)
『恋文』(1953年)
『山椒大夫』(1954年)
『近松物語』(1954年)
『新平家物語 静と義経』(1956年)
『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)
『森繁よ何処へ行く』(1956年)
『女殺し油地獄』(1957年)
『どん底』(1957年)
『風雲児 織田信長』(1959年)
『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)

・・・凄いですよね、このキャリア。
しかしこれだけではなく、この期間、他の映画へも多数出演しています。
そして1961年の『モスラ』となるのですが、既にこれだけのキャリアを持った女優が出演してたところに、当時の東宝怪獣映画のバリューを感じます。
もっとも『モスラ』の中で香川京子の影はやや薄く、1964年の『モスラ対ゴジラ』の星由里子の方が冴えていた。
もちろん女優としての格は香川京子の方がグッと上なのですが、怪獣映画を含め、ポップな作品よりも、芸術映画や、要するに本格派の作品に合っている女優であるということでしょう。
年齢を重ねた香川京子の品性は威厳ある佇まいも素晴らしく、『近松物語』や『東京物語』、そして幾多の黒澤作品に出演した偉大なキャリアのイメージをまったく裏切ることのない、見事な生き方を見せてくれている人だという印象です。