この日本アカデミー賞での吉高由里子の光は。そして秋吉久美子とまったく違う点 [吉高由里子]
昔、秋吉久美子という女優がいた。
物憂い雰囲気で大物女優然としており、
なにやら「大胆」な名言で話題を振りまいたりしていた。
確かに秋吉久美子は大物女優だったし、
それなりの内容の出演作を残してはいるのだが、
どうも計算が介入した言動のような印象があり、
わたしは鼻白んでいた。
なぜ秋吉久美子を出したかというと、
ひょっとして誰かが2人の共通性について
言及するかもしれないと思ったからだ。
「共通性」は、
わたしの見るところ、
あるようでない。
と言うか、
あるようで、
全然違う。
吉高由里子の発する言語は、
どう客観的に聴いても、
「計算」がない。
「ここでこんなことを言ったら」という
「受け狙い」がない。
秋吉久美子の有名な
「卵で産みたい」発言には、
多分に「受け狙い」が感じてならなかった。
そしてそんな発言をもてはやすメディアを憎んだ。
ものごとは注意深く繊細に見なければ本質は分からない。
「人に感謝します」
吉高由里子は日本アカデミー賞の壇上でそう言った。
ハリッウッドスターのように
ずらずらと感謝する対象を並べることなく。
物憂い雰囲気で大物女優然としており、
なにやら「大胆」な名言で話題を振りまいたりしていた。
確かに秋吉久美子は大物女優だったし、
それなりの内容の出演作を残してはいるのだが、
どうも計算が介入した言動のような印象があり、
わたしは鼻白んでいた。
なぜ秋吉久美子を出したかというと、
ひょっとして誰かが2人の共通性について
言及するかもしれないと思ったからだ。
「共通性」は、
わたしの見るところ、
あるようでない。
と言うか、
あるようで、
全然違う。
吉高由里子の発する言語は、
どう客観的に聴いても、
「計算」がない。
「ここでこんなことを言ったら」という
「受け狙い」がない。
秋吉久美子の有名な
「卵で産みたい」発言には、
多分に「受け狙い」が感じてならなかった。
そしてそんな発言をもてはやすメディアを憎んだ。
ものごとは注意深く繊細に見なければ本質は分からない。
「人に感謝します」
吉高由里子は日本アカデミー賞の壇上でそう言った。
ハリッウッドスターのように
ずらずらと感謝する対象を並べることなく。
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