「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「人生に必要な3つの秘密」~「末尾ルコ 革命通信 vol 1」発信!2017年12月31日 [「言葉」による革命]
※2018年1月19日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」・・・「人生に必要な3つの秘密」~「末尾ルコ 革命通信 vol 1」発信!
前回にも一部披露させていただきましたが、「美」 「力」 「笑」を中心に据えた〈「言葉」による革命〉活動のために、「末尾ルコ 革命通信」という印刷物を、まずは地元高知を中心に配布いたします。
レイアウトはまったく異なりますが、次にお見せする者が、、「末尾ルコ 革命通信 vol 1」の一部です。
・・・・・・
「末尾ルコ 革命通信 vol 1」
「人生に必要な3つの秘密」
それは、
「美」 「力」 「笑」
この意識に目覚めれば、すべてが変わってきます。
・あなたの人生に新たな意味が生まれ
・あなた自身が「新しいあなた」となり
・あなたが「生きるだけ」で大きな社会貢献となります
♪まずは「最基本でかつ根本の説明を1時間半 3000円で」♪
(老若男女、職業・学歴など一切問いません。未成年者は保護者同伴です)
・・・・・・
(続きは、有料メルマガでお願いします)
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前回にも一部披露させていただきましたが、「美」 「力」 「笑」を中心に据えた〈「言葉」による革命〉活動のために、「末尾ルコ 革命通信」という印刷物を、まずは地元高知を中心に配布いたします。
レイアウトはまったく異なりますが、次にお見せする者が、、「末尾ルコ 革命通信 vol 1」の一部です。
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「末尾ルコ 革命通信 vol 1」
「人生に必要な3つの秘密」
それは、
「美」 「力」 「笑」
この意識に目覚めれば、すべてが変わってきます。
・あなたの人生に新たな意味が生まれ
・あなた自身が「新しいあなた」となり
・あなたが「生きるだけ」で大きな社会貢献となります
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(老若男女、職業・学歴など一切問いません。未成年者は保護者同伴です)
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2017-12-31 17:00
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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年12月31日 [愛の景色]
2017-12-31 12:00
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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「呆気にとられるケイト・ブランシェット、そして『キャロル』は、現代必見である」。2017年12月31日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「呆気にとられるケイト・ブランシェット、そして『キャロル』は、現代必見である」。
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
呆気にとられる。
それがトッド・ヘインズの映画『キャロル』だ。
「美」に呆気にとられ、「せつなさ」に呆気にとられ、「愛の強さ」に呆気にとられる。
そして特別なオーラを放つケイト・ブランシェット。
プラチナに近い金髪を常に隙なくセットして、高級なコートを羽織り、遠くまで見透かすような眼差しで、煙草を持つフォルムも完璧だ。
ケイト・ブランシェットが「キャロル」であり、同性に対する恋愛感情を潜在意識化に持っていた若い女を魅了する。
ケイト・ブランシェットが「凄い女優」だということは世界中の誰もが知っている。(あなたも知ってますよね?)
「現代最高の女優」の一人だということも、世界中の誰もが知っている。
もちろんブランシェットが演じた『エリザベス』にも『ブルー・ジャスミン』にも魅了はされたが、『キャロル』はそれらの上を行った。
「こんな映画をずっと観たい」と思っていた映画に望む要素がほとんど入っていた、それが、
『キャロル』である。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
呆気にとられる。
それがトッド・ヘインズの映画『キャロル』だ。
「美」に呆気にとられ、「せつなさ」に呆気にとられ、「愛の強さ」に呆気にとられる。
そして特別なオーラを放つケイト・ブランシェット。
プラチナに近い金髪を常に隙なくセットして、高級なコートを羽織り、遠くまで見透かすような眼差しで、煙草を持つフォルムも完璧だ。
ケイト・ブランシェットが「キャロル」であり、同性に対する恋愛感情を潜在意識化に持っていた若い女を魅了する。
ケイト・ブランシェットが「凄い女優」だということは世界中の誰もが知っている。(あなたも知ってますよね?)
「現代最高の女優」の一人だということも、世界中の誰もが知っている。
もちろんブランシェットが演じた『エリザベス』にも『ブルー・ジャスミン』にも魅了はされたが、『キャロル』はそれらの上を行った。
「こんな映画をずっと観たい」と思っていた映画に望む要素がほとんど入っていた、それが、
『キャロル』である。
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●市川由紀乃でさえ困難な、「藤あや子そのもの」である「おばこ巡礼歌」。 [「言葉」による革命]
●市川由紀乃でさえ困難な、「藤あや子そのもの」である「おばこ巡礼歌」。
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
藤あや子の持ち歌の中でわたしが最も愛しているのが、「おばこ巡礼歌」だ。
この歌をフルオーケストラをバックに藤あや子が歌うと、演歌だ歌謡曲だという範疇を大きく飛び越え、現在の日本で考えうる、「人間によって行われる最高の表現」の一つとなる。
それは藤あや子の他の誰も真似できない歌唱はもちろんのこと、1秒単位で微細な感情を表現する、洗練され切った身体パフォーマンスとの連動で、わたしたちの魂は奪われるしかない。
市川由紀乃が藤あや子や坂本冬美より下の世代で最高の歌手の一人であることは疑いなく、今や「最初のひと声め」で観客の背筋を痺れさせる稀有な一人であることは、「歌が分かる人であれば誰でも「分かる」だろう。
しかしその市川由紀乃にして、「おばこ巡礼歌」は比較的「普通」に聴こえてしまう。
それほどまでに「おばこ巡礼歌」は「藤あや子」そのものと化していることを、ひとますここへ記しておこう。
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
藤あや子の持ち歌の中でわたしが最も愛しているのが、「おばこ巡礼歌」だ。
この歌をフルオーケストラをバックに藤あや子が歌うと、演歌だ歌謡曲だという範疇を大きく飛び越え、現在の日本で考えうる、「人間によって行われる最高の表現」の一つとなる。
それは藤あや子の他の誰も真似できない歌唱はもちろんのこと、1秒単位で微細な感情を表現する、洗練され切った身体パフォーマンスとの連動で、わたしたちの魂は奪われるしかない。
市川由紀乃が藤あや子や坂本冬美より下の世代で最高の歌手の一人であることは疑いなく、今や「最初のひと声め」で観客の背筋を痺れさせる稀有な一人であることは、「歌が分かる人であれば誰でも「分かる」だろう。
しかしその市川由紀乃にして、「おばこ巡礼歌」は比較的「普通」に聴こえてしまう。
それほどまでに「おばこ巡礼歌」は「藤あや子」そのものと化していることを、ひとますここへ記しておこう。
●すげえじゃん・マルク・バール的にニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキAWA戦を観たもので、衝撃のジーン・フレージャー戦秒殺KO負けも想起する。 [「言葉」による革命]
●すげえじゃん・マルク・バール的にニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキAWA戦を観たもので、衝撃のジーン・フレージャー戦秒殺KO負けも想起する。
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
ニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキなんて試合が視聴できるのだから、YouTubeって、怖い怖い怖いですね(←当然淀川長治先生節で)。
何度も書いているけれど、淀川長治の「怖い」は「稲川淳二の怪談が怖い」とかいうレベルの「怖い」ではなく、基本的に、「深淵に迫った」表現に関して「怖い」と言っているのである。
ま、その意味では別にYouTubeは「怖い」に当たらないけれど、ここは何となく使ってみたかったのである。
ニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキ・・・しかも米国でのAWA世界タイトル戦だ。
YouTubeでおもしろそうなプロレスの動画を発見した時にまずチェックするのが「時間」・・・つまりその動画が何分、何十分のものであるかということだ。
プロレス動画に関しては、(おもしろそう!)、そして「10分前後以内」であれば、すぐに視聴を始める。
それ以上であれば、気になる動画は「お気に入り」へ登録しておいて、後日観たり観なかったりである。
そしてこのニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキのAWA世界選手権は10分もなかったものだから、すぐさま観始めたわけなのであるよろし。
ついでに「プロレスの試合時間」についていつも感じていることを書かせていただくと、現在の新日本プロレスである程度以上の格付けの試合時間は大部分が「22~23分以上」である。
新日本プロレスをいつも観ているファンならお分かりだろうが、ほとんどのメイン級の試合は判で押したようにこれだけの時間続く。
昭和のプロレスを振り返れば、全日本プロレスの「四天王」時代が始まるより前は、大会場でのタイトルマッチやメインイベントは、多くが「15分以上19分以下」だったはずだ。
現在の新日本プロレスの「20分以上試合」は言うまでもなく、一度観客が入らなくなったプロレスを立て直すために、「必ず満足させる」というサービス精神発露なのであり、現によくお客さんが入っているのだからどうこう言う必要もないようなものだが、わたしなどは(どうせ決着は23分くらいなのだから)と、そこまでの経過が退屈に感じて仕方ないのであるけれど。
それはさて置き、あらためてケンドーナガサキ(桜田一男)のプロフィールをチェックすると、このAWAタイトル戦だけでなく、米国でハーリー・レイスのNWAにも挑戦しており、(なんだ、すげえじゃん・ポール・ベルモンド)とあらためて見直したわけである。
実はケンドーナガサキが「セメントに強い」という評判はプロレスファンの間でよく知られていて、それが1997年にシューティング主催の「Vale-Tudo Perception」で、キックボクサーのジーン・フレージャー相手に36秒で失神KO負けした試合のインパクトはなかなかのもので、今考えると年齢や「準備ゼロ」という状態で勝てるわけなかった、となるのであるが、勝っていればめちゃめちゃカッコよかったろうなあとは思ってしまうのである。
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
ニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキなんて試合が視聴できるのだから、YouTubeって、怖い怖い怖いですね(←当然淀川長治先生節で)。
何度も書いているけれど、淀川長治の「怖い」は「稲川淳二の怪談が怖い」とかいうレベルの「怖い」ではなく、基本的に、「深淵に迫った」表現に関して「怖い」と言っているのである。
ま、その意味では別にYouTubeは「怖い」に当たらないけれど、ここは何となく使ってみたかったのである。
ニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキ・・・しかも米国でのAWA世界タイトル戦だ。
YouTubeでおもしろそうなプロレスの動画を発見した時にまずチェックするのが「時間」・・・つまりその動画が何分、何十分のものであるかということだ。
プロレス動画に関しては、(おもしろそう!)、そして「10分前後以内」であれば、すぐに視聴を始める。
それ以上であれば、気になる動画は「お気に入り」へ登録しておいて、後日観たり観なかったりである。
そしてこのニック・ボックウィンクルVSケンドーナガサキのAWA世界選手権は10分もなかったものだから、すぐさま観始めたわけなのであるよろし。
ついでに「プロレスの試合時間」についていつも感じていることを書かせていただくと、現在の新日本プロレスである程度以上の格付けの試合時間は大部分が「22~23分以上」である。
新日本プロレスをいつも観ているファンならお分かりだろうが、ほとんどのメイン級の試合は判で押したようにこれだけの時間続く。
昭和のプロレスを振り返れば、全日本プロレスの「四天王」時代が始まるより前は、大会場でのタイトルマッチやメインイベントは、多くが「15分以上19分以下」だったはずだ。
現在の新日本プロレスの「20分以上試合」は言うまでもなく、一度観客が入らなくなったプロレスを立て直すために、「必ず満足させる」というサービス精神発露なのであり、現によくお客さんが入っているのだからどうこう言う必要もないようなものだが、わたしなどは(どうせ決着は23分くらいなのだから)と、そこまでの経過が退屈に感じて仕方ないのであるけれど。
それはさて置き、あらためてケンドーナガサキ(桜田一男)のプロフィールをチェックすると、このAWAタイトル戦だけでなく、米国でハーリー・レイスのNWAにも挑戦しており、(なんだ、すげえじゃん・ポール・ベルモンド)とあらためて見直したわけである。
実はケンドーナガサキが「セメントに強い」という評判はプロレスファンの間でよく知られていて、それが1997年にシューティング主催の「Vale-Tudo Perception」で、キックボクサーのジーン・フレージャー相手に36秒で失神KO負けした試合のインパクトはなかなかのもので、今考えると年齢や「準備ゼロ」という状態で勝てるわけなかった、となるのであるが、勝っていればめちゃめちゃカッコよかったろうなあとは思ってしまうのである。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、無数」篇。2017年12月31日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、無数」篇。
「猫、無数」
だからと言うわけではないが
続いて『高野聖』を読み始める
名高い『高野聖』のページを捲るのは
一体何度目だろう
・・・・・・
ぼくの素敵なネコの
ページは無限に
増えていく
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、無数」
だからと言うわけではないが
続いて『高野聖』を読み始める
名高い『高野聖』のページを捲るのは
一体何度目だろう
・・・・・・
ぼくの素敵なネコの
ページは無限に
増えていく
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「美」 「力」 「笑」~さて、今、あなたの周囲にはどんな「美」が存在しますか?2017年12月30日 [「言葉」による革命]
※2018年1月16日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」・・・「美」 「力」 「笑」~さて、今、あなたの周囲にはどんな「美」が存在しますか?
はい。
「美」 「力」 「笑」~さて、今、あなたの周囲にはどんな「美」が存在しますか?
「美」 「力」 「笑」の3要素を〈「言葉」による革命〉、そして「言葉の戦士」の方法論の中心に据えて戦っていくことは前回お伝えしました。
「マンネリ・ワンパターン・ルーティン通り」の日常からはもう脱出してますか?
まだの方は、今すぐに脱出してください。
「本気でやろうと思えば」、誰でもできます。
やってしまえば、(なんだ、こんなに簡単にできるのか!)と驚き、そして
(ああ、世界はこんなにも広くて美しく、ワクワクする場所だったのか!)
と実感として理解できるでしょう。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」・・・「美」 「力」 「笑」~さて、今、あなたの周囲にはどんな「美」が存在しますか?
はい。
「美」 「力」 「笑」~さて、今、あなたの周囲にはどんな「美」が存在しますか?
「美」 「力」 「笑」の3要素を〈「言葉」による革命〉、そして「言葉の戦士」の方法論の中心に据えて戦っていくことは前回お伝えしました。
「マンネリ・ワンパターン・ルーティン通り」の日常からはもう脱出してますか?
まだの方は、今すぐに脱出してください。
「本気でやろうと思えば」、誰でもできます。
やってしまえば、(なんだ、こんなに簡単にできるのか!)と驚き、そして
(ああ、世界はこんなにも広くて美しく、ワクワクする場所だったのか!)
と実感として理解できるでしょう。
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2017-12-30 17:00
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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「残酷なまでに美しい、格違いの映画『キャロル』について」。2017年12月30日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「残酷なまでに美しい、格違いの映画『キャロル』について」。
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
『キャロル』
格が違う、レベルが違う、とはこの映画のこと、『キャロル』。
トッド・ヘインズ監督の、必ずしも多いとは言えないフィルモグラフィの中でも、正に
「入魂の一作」。
「入魂」
監督、キャストら誰もが「入魂」してない映画など観たくもないが、「入魂」とは「力む」ことではない。
『キャロル』は、2時間足らずの時間が、甘美で残酷な幻燈のようにアッという間に流れていく。
「美」はいつも「残酷さ」を伴う。
「残酷さ」を伴わない「美」は、「ほのぼのお花畑」に過ぎない。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
『キャロル』
格が違う、レベルが違う、とはこの映画のこと、『キャロル』。
トッド・ヘインズ監督の、必ずしも多いとは言えないフィルモグラフィの中でも、正に
「入魂の一作」。
「入魂」
監督、キャストら誰もが「入魂」してない映画など観たくもないが、「入魂」とは「力む」ことではない。
『キャロル』は、2時間足らずの時間が、甘美で残酷な幻燈のようにアッという間に流れていく。
「美」はいつも「残酷さ」を伴う。
「残酷さ」を伴わない「美」は、「ほのぼのお花畑」に過ぎない。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●山田姉妹へのお誕生日メッセージ。 [「言葉」による革命]
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
12月24日がお誕生日の山田姉妹。
当日、彼女たちのオフィシャルブログに次のようなメッセージを入れさせていただきました。
・・・・・・
山田姉妹、華様、麗様・・・お誕生日、おめでとうございます。Bon Anniversare!
人生の中で様々な芸術と出会い、愛してきましたが、お二人の歌唱との出会いは特別なものとなりました。
様々な歌を、お二人の感性と歌唱でお歌いになるからこそ素晴らしいものが創造されるのです。
仮にお二人とまったく同じ経歴を持つ別の方が歌ったとしても、お二人のような芸術は生れないと断言できます。
お二人の感性あってこその、信じ難いバランスに満ちた奇跡的歌唱なのです。
「芸能界」の属するということは、いろいろと大変な部分もおありかと思いますが、「今のお二人」のお気持ちのままで進んでくだされば、今後もさらに偉大な創造が可能だと信じています。
常にお二人の応援には、何も惜しむものはありません。
ご健康だけには十分ご留意なさってくださいませ。
12月24日がお誕生日の山田姉妹。
当日、彼女たちのオフィシャルブログに次のようなメッセージを入れさせていただきました。
・・・・・・
山田姉妹、華様、麗様・・・お誕生日、おめでとうございます。Bon Anniversare!
人生の中で様々な芸術と出会い、愛してきましたが、お二人の歌唱との出会いは特別なものとなりました。
様々な歌を、お二人の感性と歌唱でお歌いになるからこそ素晴らしいものが創造されるのです。
仮にお二人とまったく同じ経歴を持つ別の方が歌ったとしても、お二人のような芸術は生れないと断言できます。
お二人の感性あってこその、信じ難いバランスに満ちた奇跡的歌唱なのです。
「芸能界」の属するということは、いろいろと大変な部分もおありかと思いますが、「今のお二人」のお気持ちのままで進んでくだされば、今後もさらに偉大な創造が可能だと信じています。
常にお二人の応援には、何も惜しむものはありません。
ご健康だけには十分ご留意なさってくださいませ。
●『ダンスマガジン』と『Newton』のバックナンバーをBOOK OFFに売った場合の価格を考えながら、掛け値なしで「別荘なんぞ、いらない」と観照する。 [「言葉」による革命]
●『ダンスマガジン』と『Newton』のバックナンバーをBOOK OFFに売った場合の価格を考えながら、掛け値なしで「別荘なんぞ、いらない」と観照する。
末尾ルコ「人生論の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
家の中に新品同様の『ダンスマガジン』と『Newton』が素敵に平積みされている。
『ダンスマガジン』は新書館が発行、『Newton』はニュートンプレスの発行だ。
『ダンスマガジン』はバレエを中心としてダンス専門誌で、『Newton』は科学雑誌であり、どちらも価格1000円を超すブルジョワ(笑)雑誌と言えるだろう。
そして今まさにわたしの目の前にある『ダンスマガジン』と『Newton』のほとんどは「貰い物」なのだ。
いや、かつてわたしは毎月『ダンスマガジン』を購入してはいた。
今はしてない。
理由はそもそも『ダンスマガジン』は、写真以外はさほどわたしが必要とするページはなかったこと、そしてバレエやオペラを催す日本の劇場に対する不満がかなり溜まっていたこともその一つだ。
さらに言えば、ネットでバレリーナたちの画像や動画がいくらでも見つけられる昨今、贔屓のバレリーナでも必ずしも満足できる写りの写真が掲載されているわけではない『ダンスマガジン』に対する不満も大いにあった。
などと言うのはこの度は余談であって、現在のわたしが迷っているのは、この人から貰った『ダンスマガジン』と『Newton』の山をどうしてくれようかというテーマである。
『ダンスマガジン』も『Newton』も、いくらでも時間があればじっくりと読むだろう。
しかしただでさえ自室の至る所に「本の山脈」や「本の氷河」がある現状、これら二つの雑誌にかける時間がそうそうあるとは思えない。
売るか?
しかしBOOK OFFなどに持ち込んで、新品同様で元値が1000円以上の雑誌を「10円」とかで飼われては敵わない、いくら「貰い物」であってもだ(笑)。
いや、かつてそのくらいの値段で買われたことがあったような。
いや、わたしが抱える根本的な問題は、『ダンスマガジン』と『Newton』のことのみではない。
増え続け、人間の居住領域を侵食し続ける「本」をどうすべきかが問われているのだ。
「捨てる」という選択肢は無論いつでも魅力的だ。
最も簡単で、ほとんど労力ゼロである。
そして言うまでもなく、人間、死んでしまえばすべての「モノ」を手放すことになる。
イエス・キリストが「富は点に積め」と言った(とされる)のは、「地上の富の虚しさ」のみを語っているわけではないけれど、もちそんその意味も含まれている。
もちろん、「ある程度以上の経済状態」では、わたしもありたい。
けれど億万長者とか、「世界中に別荘が何十も何百も」とか、そういう人たちに対しては、ある意味(可哀想だな)と思っている。
そんな莫大なお金、有効に使えるものではないし、いくら別荘を持っていても、時間や空間の制約を考慮すれば、生涯の中でフルに使いこなせるわけはないだろう。
もちろん「素晴らしい企業を立ち上げて、多くの理想的な雇用を生む」ということができれば素晴らしいけれど、こうした「理想的な企業」が有史以来どれだけ存在するというのか。
末尾ルコ「人生論の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
家の中に新品同様の『ダンスマガジン』と『Newton』が素敵に平積みされている。
『ダンスマガジン』は新書館が発行、『Newton』はニュートンプレスの発行だ。
『ダンスマガジン』はバレエを中心としてダンス専門誌で、『Newton』は科学雑誌であり、どちらも価格1000円を超すブルジョワ(笑)雑誌と言えるだろう。
そして今まさにわたしの目の前にある『ダンスマガジン』と『Newton』のほとんどは「貰い物」なのだ。
いや、かつてわたしは毎月『ダンスマガジン』を購入してはいた。
今はしてない。
理由はそもそも『ダンスマガジン』は、写真以外はさほどわたしが必要とするページはなかったこと、そしてバレエやオペラを催す日本の劇場に対する不満がかなり溜まっていたこともその一つだ。
さらに言えば、ネットでバレリーナたちの画像や動画がいくらでも見つけられる昨今、贔屓のバレリーナでも必ずしも満足できる写りの写真が掲載されているわけではない『ダンスマガジン』に対する不満も大いにあった。
などと言うのはこの度は余談であって、現在のわたしが迷っているのは、この人から貰った『ダンスマガジン』と『Newton』の山をどうしてくれようかというテーマである。
『ダンスマガジン』も『Newton』も、いくらでも時間があればじっくりと読むだろう。
しかしただでさえ自室の至る所に「本の山脈」や「本の氷河」がある現状、これら二つの雑誌にかける時間がそうそうあるとは思えない。
売るか?
しかしBOOK OFFなどに持ち込んで、新品同様で元値が1000円以上の雑誌を「10円」とかで飼われては敵わない、いくら「貰い物」であってもだ(笑)。
いや、かつてそのくらいの値段で買われたことがあったような。
いや、わたしが抱える根本的な問題は、『ダンスマガジン』と『Newton』のことのみではない。
増え続け、人間の居住領域を侵食し続ける「本」をどうすべきかが問われているのだ。
「捨てる」という選択肢は無論いつでも魅力的だ。
最も簡単で、ほとんど労力ゼロである。
そして言うまでもなく、人間、死んでしまえばすべての「モノ」を手放すことになる。
イエス・キリストが「富は点に積め」と言った(とされる)のは、「地上の富の虚しさ」のみを語っているわけではないけれど、もちそんその意味も含まれている。
もちろん、「ある程度以上の経済状態」では、わたしもありたい。
けれど億万長者とか、「世界中に別荘が何十も何百も」とか、そういう人たちに対しては、ある意味(可哀想だな)と思っている。
そんな莫大なお金、有効に使えるものではないし、いくら別荘を持っていても、時間や空間の制約を考慮すれば、生涯の中でフルに使いこなせるわけはないだろう。
もちろん「素晴らしい企業を立ち上げて、多くの理想的な雇用を生む」ということができれば素晴らしいけれど、こうした「理想的な企業」が有史以来どれだけ存在するというのか。