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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「ぼっち」という「言葉」が嫌いです。2017年12月20日 [「言葉」による革命]

※2018年1月6日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」・・・「ぼっち」という「言葉」が嫌いです。

はい。

「ぼっち」という「言葉」が嫌いです。

「ぼっち」・・・使ってますか?
もちろんどんな言葉でも使う人によってニュアンスは違ってきます。
しかしこの「ぼっち」という言葉、どうにも気色悪いのです。

「ぼっち」という言葉を使って人を嘲る人間は論外だし、そうでなくとも、「ぼっち」という言葉の持つ概念やニュアンスを受け入れ、あっさりと取り込まれている人たちもいただけません。

なぜでしょうか?

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年12月20日 [愛の景色]

あなたのその
少し前に出た
下唇が
あなたの可愛らしさと
強い意志を
表現していることを
わたしは知っている

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「90年代を代表する映画女優片岡礼子と吉高由里子の共通点は?」。2017年12月20日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「90年代を代表する映画女優片岡礼子と吉高由里子の共通点は?」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」


片岡礼子という女優を知っている人は昨今少ないだろう。
いや、以前から「知る人ぞ知る」存在だったのかもしれない。
1990年代、片岡礼子は日本映画界で最も優れた女優の一人だった。
しかし若くして突如病魔に襲われた。
「脳動静脈奇形による血管出血」。
生命をとりとめた片岡礼子は現在も女優として活動しているし、今後新たな代表作を映画ファンは待っている。
そして片岡礼子の素晴らしさは、

「映画的としか言いようがない」

その女優としてのクオリティだ。

テレビドラマへも出演しているが、テレビドラマの空間では片岡礼子のクオリティはほとんど生かされない。
映画という空間でこそ十全に発揮される片岡礼子と、ひょっとしたら吉高由里子は共通点があるのかもしれない。

わたしは間違いなく、片岡礼子についても語らなければならない。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●第75回ゴールデングローブ賞(2018)ノミネーションを素材に、映画の現状と2018年を展望。その3. [「言葉」による革命]

●第75回ゴールデングローブ賞(2018)ノミネーションを素材に、映画の現状と2018年を展望。その3.

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

では、ミュージカル・コメディ部門の主演男女優賞ノミネーションです。

主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)
スティーヴ・カレル/『Battle of the Sexes(原題)』
アンセル・エルゴート/『ベイビー・ドライバー』
ジェームズ・フランコ/『The Disaster Artist(原題)』
ヒュー・ジャックマン/『グレイテスト・ショーマン』
ダニエル・カルーヤ/『ゲット・アウト』

主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
ジュディ・デンチ/『Victoria & Abdul(原題)』
ヘレン・ミレン/『ロング,ロングバケーション』
マーゴット・ロビー/『アイ、トーニャ』
シアーシャ・ローナン/『Lady Bird(原題)』
エマ・ストーン/『Battle of the Sexes(原題)』

なかなかビッグネームが並んでいますね。
わたしはジェームズ・フランコが長編映画初監督を果たした『The Disaster Artist(原題)』にとても注目しています。

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●末尾ルコの母(80歳以上)に守ってもらいたい健康上の覚え書きの一部。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコの母(80歳以上)に守ってもらいたい健康上の覚え書きの一部。

末尾ルコ「日常生活と医療・健康の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

そうなんです、わたしの母、80歳を超えているのです。
でも精神活動は活発にして、気はとても若い。
同年代の俳優や歌手は一切無視して、山内惠介やライアン・ゴズリングに走る辺りがいかにもわたしの母ではあります。
でも今まで様々な病気を経験してきたことも事実。
動脈硬化系のトラブルが主で、ずっと前には「心筋梗塞寸前の狭心症」と言われたこともあるし、脳梗塞の一種で入院したこともありました。
他にもいろいろやっていながら、現在は食欲も旺盛、ほぼ週に一回ピアノのレッスンへ行き、年に3,4回は発表会やコンクールへも出演します。
と言っても、「何十人も出ている中の一人」ではありますが。
ただ、ある時期、「ピアノを続けること」に関しては、わたしは大反対していました。
これまで2回、ピアノ発表会、コンクールの後に体調を崩したことがあり、(続けるべきではない)とわたしは判断していたのです。
しかし体調が回復すると、母は「ピアノはどうしても続ける」と言ってききません。
とても困ったのですが、わたしなりの健康法をいろいろ試してみたり、病院での検査も大きな問題はなかったりで、(どこまで続けたいのなら)と、現在も継続しています。
もちろん今後はどうなるか分からない。
今のところ発表会やコンクールなども順調にこなしていて、ちょっとした賞をいただいたのは去年でした。
それでも、(いつ何が起こってもおかしくはない)との思いは胸に、細心の注意を払いながらやってもらっています。
そんな中思うのは、「生きがいのない人生」ではいけないということ。
何だかんだ言って、母はピアノの課題を練習している時にはとても愉しそうにしています。
歌もとても好きで、コーラスのグループにも参加しています。
高齢ですから、これらのことを、「やる」より「やらない」方がリスクは低いでしょう。
しかしピアノやコーラスをやらなかったからといって、「リスクゼロ」になるわけではないのです。
だからいろんな意味で、余程のことがない限り、母のピアノは応援していこうと考えています。

それにしても、最近右膝痛もやや激しくなってきた母が自分の健康に無頓着なのには難渋しています。
少しでも分かりやすくと思い、次のような内容を書いた紙を最近渡したのです。


・冷静に。(興奮し過ぎない・緊張し過ぎない)
・少しでも調子がおかしければ、すぐに言う。
・適切な水分。
・ゆったりした服装。
・転倒などしないよう、常に注意する。

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