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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~ロバート・デ・ニーロ『13ミニッツ』にはシャーリーズ・セロンもヴェラ・ファーミガも出ていた~吉永小百合が最も美しい年代は。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『13ミニッツ』は主演がロバート・デ・ニーロ。
しかし有名な話だから書くが、この映画でデ・ニーロは途中で死ぬ。
その後はバーンズ主演のような様相になるのだが、それよりも今見ると『15ミニッツ』の共演者が凄い。
ヴェラ・ファーミガ、シャーリーズ・セロン、キム・キャトラル、さらにアントン・イェルチン。
シャーリーズ・セロンとキム・キャトラルを並べて「凄い!」と言うのも何だけれど、これら俳優たちの当時を確認するだけでも『13ミニッツ』を今観る価値が十分ある。

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『伊豆の踊子』にはゲスト出演的に浜田光夫も出演していたが、これまた短い時間になかなかのハイテンションである。
そして別に二枚目でもなければ、カッコよくもない。
『伊豆の踊子』で吉永小百合の相手役を務めているのは若き日の高橋英樹だが、その美男子ぶりと比べると浜田光夫、「その辺のあんちゃん」である。
そこが若き日のハイテンション吉永小百合の相手役として相応しかったのだろうが、吉永が中年期から高齢期の現在にかけても「唯一無二のトップ女優」として君臨し続けているのに比べ、フェイドアウトしていったのも致し方ないところだったのだろう。
わたしが子どもの頃に石橋正次目当てで観ていた『アイアンキング』の同じく主演格で出ていた浜田光夫だが、その時点で「かつて吉永小百合の相手役青春スター」だった面影はなかった。

では吉永小百合が最も美しかったのはいつ頃かと考えれば、やはり30代から40代ではないだろうか。
いや、もちろん「吉永小百合は現在を含め、どの時代も美しい」という前提での話だけれど、例えば、1978年の『皇帝のいない八月』を観ても、(こりゃあ、最高だわ)という美しさがある。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~エドワード・バーンズの短き全盛期~悪魔的ストラーロ、『レッズ』のシーン~若き日の動物的吉永小百合。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『プライベート・ライアン』の公開が1998年。
『13ミニッツ』の公開が2001年。
どちらにも出演している俳優が、エドワード・バーンズ。
エドワード・バーンズ、『プライベート・ライアン』ではトム・ハンクスの次にクレジットされている。
もちろんヴィン・ディーゼルよりも前に。

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『レッズ』のラストシーン。
暗い廊下
闇に支配されているけれど、蠢く人物たちはクリアに映し出されている。
イコンに向かって言葉を唱える女の後ろ姿。
イコンにライトは当たっているけれど、女の後ろ姿はまるで「闇が人間の形をしている」ようだ。
カップを落とす
少年がそれを拾う。
「スパシーバ」
少年はにっこり笑う。
天使のように。

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吉永小百合は1945年生まれで、『伊豆の踊子』は1963年公開の映画だから、10代後半ということになる。
伝説的作品『キューポラのある街』はその1年前の1962年だ。
要するに、十代で映画スターとして頂点まで上り詰めたまま、平成30年の現在まで50年以上、その座を脅かす者さえ現れていないという凄い女優なのである。
ところでこれはわたしの感じなのだが、『キューポラのある街』を観ても、『伊豆の踊子』を観ても、要するに10代の吉永小百合からは、「動物的」な印象受けるのだ。
10代であるから、じっくりと人間的深みを出すのは難しいとしても、他の十代の女優にはそうそう見られない「動物的」印象である。
つまり、常にハイテンションで喋り、動き、表情はある程度固定されたまま、90分程度の映画の中で、有無を言わさず一気に見せてしまう。
おそらくわたしが当時もし同年代の男としてリアルタイムで吉永小百合を観ていても、特にファンにはならなかっただろう。
正直、観ていて少々疲れるのである。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『ケイコ目を澄ませて』は「すべて」を観て~必見の西部劇。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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ここ10年前後で最高の日本映画と言いたくなる『ケイコ目を澄ませて』で圧倒的な岸井ゆきのの演技とそれを余すところなくフィルムに収めた三宅唱監督の演出だが、『ケイコ目を澄ませて』はもちろんこの映画「すべて」を観てほしい。

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西部劇『シェーン』を再発見したことがわたしにとって大きな出来事の一つだったが、日本における時代劇と同様に、米国でも西部劇映画の製作は極めて少なくなっている。
それだけに近年に作られた西部劇には「凄いもの」が少なくないが、取り敢えずわたしの頭にすぐ浮かぶ「凄い西部劇」を挙げてみよう。
『シェーン』
『荒野の決闘』
『真昼の決闘』
『明日に向かって撃て』
『許されざる者』
『トゥルー・グリット』

問答無用の傑作ばかりで、「掘り出し物」的な作品が入ってないのだが、「凄いものは凄い」のである。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~7月にはNetflixとアマゾンプライムビデオを始めました~室生犀星『あにいもうと』は成瀬巳喜男を観たい。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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7月後半、配信サービスNetflixとアマゾンプライムを始めた。
正直なところ、映画プログラムの充実度ではWOWOWが飛び抜けている思うんだけど、どうしても「録画したものを鑑賞」というパターンになるので面倒ではあるし、画質は落ちるのである。
配信だといつでも一定以上の画質レベルで鑑賞できるのと、当然ながらNetflixオリジナル映画はNetflixでしか普通は観ることができないからね。

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とは言えわたしは特に室生犀星について詳しいわけではなく、繰り返し映画化・テレビドラマ化されている「あにいもうと」も未読であることを少々恥じたい気分である。
しかし世界には無数におもしろい本があり、それに対して人生はあまりに短い。
どれだけ素晴らしい本を人生の中で読むことができるか・・・これも大きな挑戦である。
さらに言えば、「本」だけに時間を使えるわけでもなく、映画も音楽も、バレエもテニスもプロレスも格闘技もあれば、私生活で愛を謳う時間も必要であり、本当は3万年くらい時間が必要なのだけれど、そんなに長生きした人類は今のところ皆無である。

室生犀星の「あにいもうと」。
テレビドラマを含め、何度も映像化されているが、やはり映像化された「あにいもうと」の頂点は、成瀬巳喜男監督作か。
主演は森雅之と京マチ子。
これはワクワクが止まらない。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~テーブルを譲ってくれたスタバの女性二人連れ~「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の作者は。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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日本。
今の日本。
ファミマの身障者など用の駐車スペースのど真ん中に原付を駐車させ、ぼくが「そこへ原付置かれちゃ困りますがねえ!」と声をかけても何も言わず去って行った人品卑しからぬとは言い難い女もおれば、翌日、スタバ某店舗、この夏場は夕方お客さんが多いんだけど、この日もそうだった。
空いてる席は少なく、取り敢えず小さなテーブル席に荷物を置いた。
そしてレジの女性、その時はHといつも通りのホットなギャグ満載会話をしていたら、大きなテーブル席に座っていた若い女性二人連れが小さなテーブルに移動。
その大きなテーブルには車椅子マークがついていて、もちろん普段は一般客も利用していいんだけれど、うたちゃん(母)とぼくの姿を見てさっと席を譲ってくれたんだ。
件の原付女のような人間もおれば、この二人のような素敵な行動ができる人たちもいる。

ぼくは店を出るまでに二回、お二人に重ね重ねのお礼を言った。

・・・

室生犀星はまず詩人としてのイメージが強いく、最も人口に膾炙している詩は次の作品だろう。
・・・
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
・・・

とは言え、本当に人口に膾炙しているのは、

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の部分であり、それより後を諳んじている日本人は多くないはずだ。
わたしは常に「詩集」を手元に置いておくこと、つまり「座右の詩集」を持つことを推奨しているが、このような詩は短く、理解しやすく、しかも美しい。
ぜひご家族で、友達同士で、あるいは恋人とともに、諳んじてみましょう。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~身障者など専用駐車スペースに原付バイク~『ジェーン・ドゥの解剖』オルウェン・ケリーOlwen Kellyの美。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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7月終盤のある昼間。
とても暑い12時過ぎ。
ぼくはうたちゃん(母)とファミマへ寄った。
もちろんファミチキを買うために。
ところが駐車場の車椅子・身障者用スペースのど真ん中に堂々と原付バイクが停められている。
ど真ん中に堂々と原付バイクが。
(どんな奴がこういうことを・・・)とただでさえ猛暑なのに暑苦しい怒りが込み上げる。
ファミチキを買って車に戻ろうとしていたら、件の原付の主が現れた。
50~60代と思しき中年婦人。
「婦人」という言葉を使いたくないほどの品の無さ、だらしない雰囲気。
ぼくは車の窓を開け、その女に
「そこへ原付置かれちゃ困りますがねえ!」
と声をかけた。
女はぼくを一瞥し、何も言わず原付に乗り去って行った。
まあこういう人間はこういうものである。

・・・

『ジェーン・ドゥの解剖』という映画には「人体の解剖シーン」がうんとこさと出てくるので、わたしも食後すぐには観る気が起らなかった。
もちろんそれらは本物の人間の遺体を使っているのではなく、「作りもの」ではあるけれど、「どの程度に作られているか」が分かるまではいささか戦々恐々というものである。
その解剖シーンだが結論から言えば、観始め一定時間経てば慣れた。
それよりも作品開始当初には「怖い」感の強かった「ジェーン・ドゥの死体」が、後半に差し掛かるに従って、美しく美しくなっていくので見惚れてしまった。
死体役は、「オルウェン・ケリーOlwen Kelly」というダブリン出身の女優・モデルで、俳優としての実績は取り立ててないが、少なくとも『ジェーン・ドゥの解剖』における死体役は世界中の多くの映画ファン、ホラーファンや怖い映画好きにインパクトを残したのは間違いなく、もちろん「死体役」で上手に撮られたからその美が際立ったのだけれど、わたしも今後「オルウェン・ケリーOlwen Kelly」の名をキャストに発見すれば、(ちょっと観てみようかな)とは思うだろう。
それにしても、「女性の遺体を解剖する」シーンを中心として90分弱飽きさせないのも映画ならでは力だ。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~スタバAにはサンドラ・ブロックを~『たかが世界の終わり』、スター俳優たちの「顔」。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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Mと同じ店舗のAは『オーシャンズ』シリーズが好きと言ったので、
と言うか、聴けば映画鑑賞が好きな人、特に実写ね、けっこういるぜ。
で、ぼくは『オーシャンズ』の中では女優たちがやってくれる『オーシャンズ8』が一番好きで、彼女もそれを「好き」だと言ったから、『オーシャンズ8』の中心サンドラ・ブロックの主演作、
『スピード』
『デンジャラス・バディ』
『しあわせの隠れ場所』
『ザ・ロストシティ』を
書いて渡した。

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グザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』は「家族の物語」で、映画はその家族の中だけで展開される。
母がいて、長男がいて、長男の妻がいて、次男がいて、次女がいる。
『たかが世界の終わり』はこの家族の中だけで展開される映画だ。
しかし、母はナタリー・バイであり、長男はヴァンサン・カッセルであり、長男の妻はマリオン・コティヤールであり、次男はガスパー・ウリエルであり、次女がレア・セドゥだ。
取り敢えず、映画史上最高に贅沢な「家族」の一つである。

『たかが世界の終わり』でグザヴィエ・ドラン監督は、一つの家族、それは母はナタリー・バイであり、長男はヴァンサン・カッセルであり、長男の妻はマリオン・コティヤールであり、次男はガスパー・ウリエルであり、次女がレア・セドゥという恐るべき「家族」なのだが、90分強の作品中、この人たちの演技をほとんどアップの連打によって抽出する。
そのテンポが心地いいのだ。
ロングの長回しで人間性を抉り出す映画もけっこう。
しかしシンプルにこう感じることもある、(もっと俳優たちの顔をよく観たいのに)と。
『たかが世界の終わり』はフランス映画界の至宝たちの「顔」を、これでもかこれでもかとアップで観客に叩きつける。
そして「俳優のアップ」こそ、舞台では味わえない「映画ならではの快楽」の重要な一つである。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~ドイツ史やってたスタバMにニュージャーマンシネマ~リドリー・スコット『プロメテウス』の充実。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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スタバ某店舗のMはドイツ史をやってたのかな。
だからMにニュージャーマンシネマの話をした。
Mは知らなかった。
まだ学生だからね。
ぼくは誰かに映画や音楽などをお薦めするためいつもメモパッドを持ち歩いている。
この日Mには、『ベルリン 天使の詩』、そして『ミッション インポッシブル』の最新作を愉しみにしてたから、トム・クルーズの過去作をいくつか書いて渡した。
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『プロメテウス』と『エイリアン コヴェナント』を『エイリアン コヴェナント』『プロメテウス』の順に観た。
『プロメテウス』は初めて観た時よりずっとおもしろく感じた。
どちらもグロシーンが苦手な方にはお薦めできない。
が、リドリー・スコットのダークでクールな映像は冴えまくり、両作品とも今世界で最もホットな俳優マイケル・ファスベンダーの知性と肉体が支配する。
さらに『プロメテウス』の方はSFマインドが横溢し、スケールの大きさも心地よく、シャーリーズ・セロン、ノウミ・ラパスというパンクな女優共演も愉しい。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~瞬時に言葉の選択「美しい」「綺麗」~エミリー・ブラントと『ボーダーライン』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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「美しい」という言葉と「綺麗」という言葉、たとえば、あの女優に「美しい」という言葉を使ったのなら、この女優にはまだ使えない・・・わたしの中では常にこのような検討・判断が繰り返されている。

「言葉を乱暴に使うってはいけない」・・・これはわたしの言語生活の大前提であるのだ。

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エミリー・ブラント出演映画の中でわたしが好きな作品はたとえば、

『アジャストメント』
『砂漠でサーモン・フィッシング』
『アイ・アム・ニューマン 新しい人生の見つけ方』
『オール・ユー・ニード・イズ・キル』
『ボーダーライン』

中でもマット・デイモンと共演の『アジャストメント』で、エミリー・ブラントの顔からプロポーションから、その「綺麗さ」を十分に堪能できる。

とは言え、『クワイエット・プレイス』大ヒットによって、エミリー・ブラントのバリューが大きくアップしたのは嬉しい。
「女優主演」での大ヒット作はそうそう生まれない(とされている)から、ハリウッドにおける男優と女優のギャラに大きな格差があり続けている大きな要因となっている。
なぜ、「女優主演映画」のヒットが少ないかは様々に検討される必要があるけれど、少なくとも言えることは、「女優主演映画」のヒットが少しずつでも多くなっていけば、徐々に状況は好転していく、間違いなく。
その意味で、「スター女優」ではあるけれど、決して「大スター女優」ではなかったエミリー・ブラントの『クワイエット・プレイス』大ヒットの影響は少なくない。

しかしもちろんエミリー・ブラントの現在までの問答無用の代表作は『ボーダーライン』である。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~映画俳優とヒット作~エミリー・ブラントと『クワイエット・プレイス』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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大ヒット作に恵まれていれば優秀な俳優だとは限らないし、大ヒット作に恵まれてなくても優秀な俳優は多くいる。
実は日本の現状にそのケースはとても多いのだが、それはさて置き、もちろん俳優にとってはヒット作に恵まれないよりは恵まれる方がいい。
しかしそれはあくまで原則であって、大ヒット作が俳優としての足枷となる場合も往々にして存在するのだ。

ただエミリー・ブラントの場合、『クワイエット・プレイス』の大ヒットはとても大きかった。

俳優として大ヒット作に恵まれるメリットは、もちろんギャラが上がる、発言力も上がる、そして、これは各俳優の能力や美意識、意欲にもよるのだが、出演作の選択肢が大いに広がる。つまり、一方で大予算の大作へ出ながら、他方で低予算のアート映画への出演といったスタイルもより自由度が上がるし、そのスタイルを取っている映画俳優は多い。

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『クワイエット・プレイス』は「宇宙から、視力はないけれど聴覚が以上に高度な怪物がやってきて、人間を襲い始める」というホラースリラーであって、こうした映画が毎年のように大きな予算を掛けずに制作され、大ヒットを記録するところにハリウッドの強靭さを感じる。
さらに嬉しいのは、「女優エミリー・ブラント主演映画である」という点だ。

わたしがエミリー・ブラントを初めてしっかりと認識した映画は『ヴィクトリア女王 世紀の愛』の「ヴィクトリア女王」役だったが、多くの映画賞で主演女優賞にノミネートされ、中には受賞したものもあるが、わたしはさほどいい印象を持たなかった。
そりゃあ顔立ちはとてもいいけれど、「鈍い」印象が強かったのだ。

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